「スナップ写真」は、特別な機材も特別なセットも必要ない、最も気軽に撮れる撮影ジャンルであります。
普通私たちが「写真を撮る」という場合、ほとんどがスナップ写真のことを指しているのではないでしょうか。
それくらい当たり前な感じのスナップ写真ですが、しかし、簡単手軽であるからこそ「ただ単に」撮っただけでは、何の面白味もない「ただの写真」になってしまいます。
面白い、見ごたえのある、撮って満足できる写真にするためには、ただ単に撮るだけではなく、何かしらの工夫が必要です。
今回は、私たちに最も親しみのある撮影ジャンルである「スナップ写真」を、どのように面白くするかの工夫について見ていきましょう。
目次
スナップ写真とは
スナップ写真とはそもそも、どういう写真でしょうか。
「snap」の英語の意味を調べると、「パチン」とか「ピシャリ」です。
「パチリと写真を撮る」まさにそんな感じですね。
そこから感じ取られるのは、そのままの情景をパッと手軽に撮る、という印象です。
実際、私たちが普通に写真を撮る場合って、特別な機材を使ったり、特殊なセッティングを組んだりすることは、ほぼありません。
ごく小さなカメラ(35mm一眼レフ程度まで)で、そのままの情景をそのまま撮ることがほとんどですね。
そう言う意味で、私たちが撮る写真は、ほとんどが「スナップ写真」と言えますね。
スナップ写真の難しさ
スナップ写真とは、特別な準備もセッティングもいらないので、誰にでも簡単に撮れる撮影ジャンルであります。
で、あるからこそ、撮った写真は面白味のない「ただの写真」になりがちです。
普段どおりの光景を普段見ている通りに撮っても、多分あんまり面白味は感じられないと思います。
普通の場面を普通のカメラで普通に撮るスナップ写真において、撮った写真が「普通の結果」に終わるのは、ごく普通の成り行きです。
こんな普通ずくめのスナップ写真において、普通じゃない、何かしら「面白味のある写真」にするには、やはり何か普通じゃない工夫が必要です。
スナップ写真は、誰にでも「簡単に撮れる」からこそ難しい、と言えます。
「面白いものを撮る」か「面白く撮る」か
では、どのように面白い写真にするか?
まず考えられるのは、そもそも「面白い場面」を撮る、ということですね。
猿が皿回しをしていたら、それだけでもう「面白い場面」ですね。
お魚くわえたドラ猫追っかけて、裸足で駆けてく陽気な人がいたら、それだけでもう「面白い場面」ですね。
それはもう「撮るだけ」で面白い写真になるでしょう。
そんなふうに、「そもそも面白い場面」を撮るのは、まず真っ先に思いつくことです。
しかし「そんな面白い場面にはそうそう出くわさないし」。そう思われるかもしれません。
ではどうするか。
そんなときは、「見方」と「タイミング」によって面白い場面を「発生」させてしまうのです。
例えばこちらの写真は、広場で子ども達が遊んでいるの図ですが、カメラ位置とシャッターのタイミングによって、何とも不思議な光景になっています。
右の子はシャッタータイミングによって宙に浮いている瞬間が捉えられ、それを正座でかしこまって見ている子、そして地べたに寝ている子。
まるで現代アートのような不条理感さえ漂っていますが、実際は、普段遊んでいる広場の普段どおりの光景です。
その中からカメラアングルとシャッタータイミングによって「面白く」切り取ったものです。
こちらも同じ広場で同じように遊んでいる時に撮ったものです。
何も特別なことはありませんが、ギリシャ神話の一場面のような大仰なポージングが不思議なおかしみを誘います。
実際この2人はたまたまその場に居合わせただけの他人同士ですが、見る視点とタイミングによって、たまたま息を合わせて演技しているかのように見えています。
このように、ごくフツーな場面であっても、「カメラ位置(フレーミング)」と「シャッタータイミング」によって、面白い場面を発生させてしまうことは可能です。
面白さは「与えられる」のではなく、こちらから積極的に「作る」こともできるのですね。
「面白き こともなき世を 面白く」とは高杉晋作の句ですが、スナップ写真の場合はさしずめ「面白き こともなき場を 面白く」でしょうか。
この、積極的に場面を面白くしていくということは、スナップ写真の最も大きな醍醐味のひとつです。
スナップ写真はまず「見る」ことから
では、面白い場面を「作り出す」には、どうすればいいでしょうか。
まず前提として、場面を「面白く見る」ことが必須です。
「全然面白くねーなー」と思いながら面白い写真を撮ることは不可能です。
面白い写真のためには、他の誰もが面白いとは思わなくても、少なくとも自分だけは、面白いと思わなくてはいけません。
そのためにはどんな場面にも、「何かしら面白い要素があるはずだ」と、「面白い前提」で物事を見るのがコツです。
「この場面の面白さは何だろうか?」と常に面白さを見出す姿勢で物事を見るのです。
そうすると、いつもなら何でもないと見過ごしてしまう場面であっても、何かしらの面白さがにじみ出てきます。
そして、「こっちから見たほうが面白いかも」と、自分から動いてみる発想も生まれます。
そして、自分が動くことによって視点を変えるということは、すでに自ら積極的に場面をクリエイトしているということです。
そうやって「撮ろうとすること」によって、面白さは捕まえることができます。
「自分にとっての」面白さ
ちなみにここで言う「面白さ」とは、ただ単に「ファニー」ということではなく、「キレイ」とか「美しい」、「なにコレ!?」や「すごい!」など、何かしら「撮る意味」が感じられるもの全てをひっくるめて「面白さ」、としています。
それは各々が「撮りたい!」と思う要素です。自分にとってのその写真を撮る「意味」です。
そしてその面白さ(撮りたい!と思う要素)は、もちろん自分だけのもので構いません。
誰も面白いと思わなくても、自分だけが面白ければそれでいいのです。遠慮なくどうぞ。
なぜなら趣味の撮影だからです。
「面白さまでマニュアルに頼っていたら、面白いと思う要素は一体どこにある?」という話です。
「面白さ」を見つけるには
面白さは「見つけよう」とアンテナを張ることによって、その場面が発する面白さの信号をキャッチすることができます。
見つけようとすることによって、はじめて「気付く」ことができるわけですね。
「ロンドンの霧は詩人がそれを言葉にするまでは存在しなかった」と言われますが、目に入っていても、それに「気付かなければ」見えていないのと同じです。
面白い場面、キレイな場面、素敵な場面は実際、そこらじゅうに転がっているはずですが、その信号をキャッチしなければ見えないのです。
「撮る」前にまず「見える(気付く)」ことが必要、というわけです。
詩人は霧を言葉にする前に、まずそれが「見え」なければいけません。
カメラマンは面白い写真を撮る前に、まずその面白さが「見え」なければいけません。
そして「見える」ということは「撮れる」ということです。目に見えたものは撮れますから。
いい写真のためには、高価な機材や高度なテクニックの前に、まず「見る力」です。
新しい視点の見つけ方
さて、「見る力」ですが、いつもと同じ視点から、いつもと同じように見ていても、なかなか変化は起こしにくいものです。
ですから、まず簡単にできることとして、見る位置を変えてみましょう。
普段はいわゆる「アイレベル」、つまり、立って見ている目の高さが「普通の視点」なので、あえてそこではない低い位置や高い位置を試してみましょう。
ローアングル
ローアングルは簡単ですね。
しゃがむか這いつくばるかです。
たったこれだけのことで、劇的に視点が変わります。
ワンダーランドはこんなにも身近にあったか!と、アリスのような感動間違いなしです。
初めてやってみる人なら、たったこれだけのことで、しばらくは写真を撮ることが楽しめるのではないでしょうか。
それくらいローアングルは意外な盲点です。
まだの人は早速試してみましょう。
ハイアングル
「ロー」とくれば「ハイ」ですが、ハイアングルはローアングルほど簡単ではありません。
なにしろ急には背は伸びませんし、都合よく手近に使える脚立があることも、まあ稀です。
そこで回りを見渡して、何か乗れるもの、高い位置に行ける場所がないか探します。
そして、「ハイアングルで撮ろう」という意識で見渡してみると、意外と高い位置は結構見つかります。
イスや段差はもちろんのこと、木に登っても向かいのビルに上ってもいいですし、一階上の吹き抜けから見下ろすように撮ってもいいでしょう。逆に被写体を低い位置にもっていくという発想もアリですね。
とにかく「高い位置から撮ろう」という発想さえあれば、いろいろ思いつくものです。
「必要は発明の母」ですね。
いままで思いつかなかったのは、ただ単にその「発想」がなかっただけです。
そういう意味でも「発想」とは偉大です。
「自由に撮れる」とは、「自由に発想できる」ということですね。
立ち位置と視線の置き場所
あとは、新しい視点を見つけるためには、アングルだけにとどまらず、そもそもの立ち位置や視線の置き場所(つまりその場所から「どこ」を見るか)などにもゆさぶりをかけてみましょう。
あえて横から見てみる、反対側からみてみる、また、同じ場所からでも、遠くを見てみる、近くを見てみる、上を見てみる、下を見てみる。
被写体だけを注視するのではなく、その周りにも注意を払ってみる。
すると、いろんな発見や新鮮な驚きがあるはずです。
「見ることはこんなにも面白かったか」と。
これは、「写真」というモチベーションがなければ、あえてやってみようとはしなかったことです。「写真」バンザイです。
そして、実際写真には撮らなかったとしても、「見ることの新鮮な感動と喜び」、これをキャッチできれば、スナップ写真は勝ったも同然です。
これで、いつでも思うままに楽しく、いい写真をいくらでも「スナップ」できる前提を手に入れることができました。
スナップ写真におけるフレーミング
それでは次に、最終的に写真にする際に特に大切な要素、「フレーミング」と「シャッタータイミング」の2点についても見ておきましょう。
写真を撮る順序は、まずフレーミングを決めて、その後にいいタイミングを見計らってシャッターを押す、というものです。
ですからまずは、スナップ写真におけるフレーミングの扱いから見ていきましょう。
フレーミングと構図
「フレーミング」とは、写真が写る四角い範囲(フレーム)の中で、各要素をどのように配置するかということです。
そして、普通「フレーミング」と言えば、「三分割構図」や「日の丸構図」などの「フォーマットとしての構図」が思い浮かびます。
しかし、写真をそれら「出来合いの構図」に当てはめて撮るのは、目的がすり替わってしまうのでおすすめしません。
撮影の目的が「面白さを捉えること」から「構図に当てはめること」に、いつの間にかすり替わっているのです。
その結果出来上がるのは、「面白さに忠実な写真」というよりも、「パターンに当てはめた写真」です。
スナップ写真におけるフレーミング
じゃあ、面白さに忠実なフレーミングとはどういうものか?
それは、見る時点ですでに「フレーミング込み」で見る、ということです。
見つけた面白さ、作り出した面白さはすでに「フレーミング込み」というわけです。
その四角の中にそのように収まるから面白い、ということを、撮る前の「見る」段階ですでに織り込み済みなのです。
ですから、あとはストレートにそれを撮るだけです。
そういう意味でスナップ写真におけるフレーミングとは、あれこれ工夫することではなく、むしろ「工夫しないこと」です。
というか、工夫するのはフレーミングではなく「見方」のほうです。
工夫するなら見方を工夫し、それをそのまま撮るのがスナップ写真におけるフレーミングと言えるでしょう。
フレーミングと「写真のまとまり」
写真は、各要素を「まとめる」ことによって、美しさを発揮します。
ですから、フレーミングも初めから第一段階である「見る」ことと一体化してしまうのです。
これによって、意図(面白さ)と見せ方(フレーミング)が一体となった、まとまりのあるいい写真になります。
写真の意図とは別個にフレーミングを独立して考えると、写真がまとまりを欠きます。
「構図のパターン」に当てはめて撮るのは、写真の意図とは別にフレーミングを独立して考えるという意味で、写真をバラバラにしてしまう要因です。
また、色気を出して「フレーミングでひねりを効かせてやろう」などと思うのも、最初の意図を外れて、別な方向に向かうことになります。
スナップ写真においては、最初からフレーミング込みで考えて、あとはストレートにそれをそのまま撮るのが一番です。
もちろんこれはフレーミングに限った話ではありません。
露出でもピントでも、「別個」に考えるのではなく、「いっぺんに」考えるのです。
すべてはお客さまの「うまい!」のために、とアサヒビールも言っていますが、全ては写真の「面白い!」のために、です。
「面白さ」というひとつの要素に、全ての要素を収斂させるのです。
個別の要素を突出させるのではなく、ひとつに「まとめる」のです。
スナップ写真におけるシャッタータイミング
次に「シャッタータイミング」について見ていきましょう。
スナップ写真において「シャッタータイミング」はかなり重要です。
タイミング命、と言ってもいいでしょう。
アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は「幾何学的」とも言われるように、空間的要素がキモであるにも関わらず、最も有名な写真集のタイトルが「決定的瞬間」と時間的要素になっているのは、スナップ写真においてタイミングがいかに重要であるかを物語っています。
参考:アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は「決定的瞬間」にあらず
なぜスナップ写真ではシャッタータイミングが重要なのか
スナップ写真は基本的に、ありのままの状況を撮ります。
ありのままの状況とはすなわち、常に動いている状況です。
被写体はポーズをとって止まってくれているわけではありません。
むしろその混沌とした動きの中の一瞬を捉えるのがスナップ写真の醍醐味です。
ですから、「あ、いい!」と思っても、次の瞬間にはもうその状況は終わっている場合がほとんどです。
つまり、「あ、いい!」と思ってからおもむろにカメラの準備をしているのは、全然遅いのです。
そういうわけでスナップ写真を撮る時は、「カメラの電源を入れたまま常に手に持っていましょう」などと言われるわけですが、それでもやっぱり遅いのです。
本当にベストなタイミングを撮るなら、露出もピントもフレーミングも合わせ済みで、あとは「シャッターを切るだけ」の状態にしておかなくてはいけません。
その状態で初めて、「タイミングを捕らえる」ことができます。
スナップ写真は常に「先読み」
スナップ写真は、常に先を読み、そのタイミングが来るのを「待って」撮るのがうまく撮る秘訣です。
タイミングを追いかけていては遅いのです。
行ってしまったタイミングは、もう撮ることができません。
そんなことよりも、やって来るタイミングをピシャリと捕まえなくてはいけません。
まさしく英語の意味通りの、「スナップ(=ピシャリ)」写真です。
そのために先に全ての準備を済ませておき、あとはタイミングが来るのを待つだけ、という状態にしておくのです。
先に露出もピントもフレーミングも合わせておいて、あとは被写体が所定の位置にインして来るのを待つ、あるいは何か面白いポーズが飛び出すのを待つ、あるいは配列が整うのを待つ。
露出、ピント、フレーミングはこっちで決めることができますが、タイミングだけはこっちで決めることができません。
ですから、そこだけはこっちが向こうに「合わせる」必要があるのです。
露出、ピント、フレーミングをこっちで合わせ済みの状態で、最終的に向こうの都合であるタイミングに合わせることによって、「全てが合った」写真を撮ることができます。
スナップ写真は「反射神経」よりも「先読み」
そして、そんなタイミングを捉えることも含めて、スナップ写真は、「反射神経」と言われますが、それはコロコロ変わる状況にうまく対応しなくてはいけないからです。
雲がかかってきたから少し絞りを開け、被写体の動きが変わったから置きピンの位置を変え、通行人が入ってきたから少しタイミングを待ち、被写体がこの位置に来た時にベストな形になるので、先回りして待ち構える。
スナップ写真は、コロコロ変わる状況に対して素早く対応しなくてはいけないので、「反射神経」などと言われるわけですが、しかし、余裕がないといい仕事ができないのと同じで、余裕がないといい写真が撮れません。
すなわち反射神経よりも大事なのは余裕を作ること、つまり「先読み力」です。
撮ろうとする写真は、シャッターを切るだいぶ前に思いついておくことがベターなのです。
あるいは最初から、十分に準備ができる、余裕のある写真を撮るか。
シャッタータイミングの5秒前に思いついた写真と、1分前に思いついた写真では、できる準備が違います。
あわてて撮ってもいい写真は撮れません。
反射神経も、もちろん大事ですが、それよりも大事なのは「余裕」です。そしてその余裕を確保するための「先読み力」です。
スナップ写真を成功させるためには、反射神経の前に、「いかに余裕を待つか」が大事です。
スナップ写真の「質」とは
さて、スナップ写真とは言ってみれば、場面を目の前にして何らかの感想を抱き、その感想を2次元の平面に定着させる作業です。
写真の質とはすなわち、抱いた感想の質です。
「面白い」という感想を抱いて撮ったら面白い写真になるでしょうし、「ツマらない」という感想を抱いて撮ったらツマらない写真になるでしょう。
そうです、スナップ写真ではテクニック以前に「何を考えて(感じて)撮ったか」が、意外なほど写真に影響します。
フレーミングの項で話した、構図を合わせることに気を取られているといい写真が撮れない、というのは、そういう意味もあります。
実際、撮る瞬間に「いい!」って感じていないと、いい写真にはなりにくいものです。
(いい!と思って撮ったけど意外と良くなかった、というのは良くありますが…)
はじめに出てきた高杉晋作の句、「面白き こともなき世を 面白く」は、「住みなすものは 心なりけり」と続きますが、要するに面白くするのは「心の持ちよう」ということでしょう。
そしてそんな、「感想」あるいは「心持ち」を発信源とする写真において、もはや現実のその場面がどうであるかは問題ではありません。
なぜなら、同じ場面を前にして、すごくいい写真を撮る人とそうでない人がいるからです。
同じ場面を前にして、誰もが同じ写真を撮るなら、その場面がどうであるかは重要です。
しかし、同じ場面を前にして百者百様であるなら、もはや場面そのものには意味がありません。
その場合に意味を為すのは、その違いを生む個々の「感想の質」「物の見方」「感じたこと」「心持ち」そんなものです。
テクニックの有る無しはそんな「心持ち」を「上手く」2次元に変換するか、「下手に」変換するかの違いであって、根本はやはり「心持ち」です。
例えば腕のいいウェディングカメラマンは、現実の結婚式をはるかに超える美しい結婚式を写真の中に現出させますが、それはただ単に露出もピントも構図も適な「うまい写真」であるだけなら、そうはなりません。
それはカメラマンが心の中に抱いた結婚式であり、描いた理想です。
もはや現実の結婚式がどうであるかは関係ありません。
現実がどんなに凡庸でツマらないものであっても、そんなことよりも撮影者が信じた「美しい式」のほうが優先されてしまうのです。
そのビジョンに従って、見る視点、切り取るタイミングが的確に選択され、信じた通りの「美しい式」がそこに現出します。
それはまさにマジックであり、ひとつの「奇跡」と言っていいでしょう。
参考:結婚式の写真で後悔しないための「カメラマン選びの最重要ポイント」とは?
photo:Ryan Polei
写真はもっとも身近な「奇跡」です。そしてその奇跡を起こすのは、撮影者の「心」です。
つまり、あなたにも「奇跡」は起こせるのです。
まとめ
さて、スナップ写真の話から、例によってどんどん話が大きくなりましたが、とりあえずまとめに入りましょう。
スナップ写真とは
スナップ写真とは、ありのままの場面を、パッと素早く撮る撮影で、言ってみれば我々が普段「写真を撮る」と言っていること、そのものです。
ですから「普通」じゃない「面白い」写真にするためには、「普通じゃない工夫」が必要です。
(ここで言う「面白い」は、「キレイ」「美しい」「すごい」などの「撮る意義」を全てひっくるめて代表させた言葉)
「面白い写真」とは
普通なスナップ写真を、普通じゃない面白い写真にするためには、2種類の方法があります。
- 面白い場面を撮る
- 場面を面白く撮る
1.の、「面白い場面」には、そもそもあんまり出くわさない。
2.の、積極的に自らが関与することによって「何でもない場面を面白く変換する」のであれば、いつでも撮ることができ、なおかつ面白い。これこそがスナップ写真の醍醐味と言える。
場面を面白く撮るには?
- 面白さを「見つけるつもり」で見ることによって、
- 面白さに「気付き」、
- それを「撮る」。
「見る」→「気付く」→「撮る」です。
まず「見る」ことから始まるわけですが、同じものを見ていても何が見えるかはその人次第です。
スナップ写真では、どこまで「見える」か、が勝負です。
高価な機材を揃えたり、高度なテクニックを身に付ける前に、スナップ写真においては、そもそもの「撮るもの(面白さ)」が見えなければ始まりません。
面白く見る方法
では、面白さを発見するにはどうすればよいか。
まず簡単にできることとして、普段(アイレベル)と視点を変えてみる。
- ローアングル(しゃがむ、這いつくばる)
- ハイアングル(高いところに上る、被写体を低い位置にする)
など。
普段とは違う見方を「あえて」することによって、新鮮なものの見方を感じてみる。
それはもちろん、アングルの変更だけにとどまらず、立ち位置や、視線を置く位置(遠くや近く)などもひっくるめて。
固定化された「ものの見方」をシェイクして、いろんな「ものの見え方」を自分の引き出しにしまっておきましょう。
撮影時の要点
スナップ写真を実際に写真にする際に特に大切な要素は「フレーミング」と「シャッタータイミング」の2点です。
フレーミング
スナップ写真においてフレーミングは、撮影前の「見る」段階で、すでに織り込んでおきましょう。
面白さをクリエイトする最も初めの段階から「フレーミング込み」で考えるのです。
「フレームの四角の中にそのように収まるから面白い」ということを最初から考慮しながら見ることによって、フレーミングと写真のテーマに分かち難い一体感が生じ、それが写真のパワーにつながる。
写真のテーマとフレーミングを別々に考えると、分離が生じ、写真のパワーがダウンする。
写真の各要素は、とにかく「まとめる」ことが大事。
シャッタータイミング
スナップ写真は基本的にありのままの状況を撮るので、常に混沌と動いている。
そんな中でベストショットを撮るためには、シャッターチャンス以外の全ての要素を事前に合わせておく必要がある。(露出・ピント・フレーミングなど)
そして、最終的にシャッタータイミングを合わせることによって、「全てが合った」写真を撮ることができる。
そのために大事なのは、しっかりと準備ができるための「余裕」。
いい写真のためには、いかに素早く撮るかよりも、いかに余裕を持つかが大事。
慌ただしい中でも周りを見渡す余裕があれば、それがよりよい視点の発見にもつながる。
「余裕」は、スナップ写真における、成功の母である。
…そして万事尽くした後には「撮れなかったとしても、それがどうした?」(byアンリ・カルティエ=ブレッソン)です。
最終的にスナップ写真の「質」とは
最終的にスナップ写真の質を決定づけるのは、場面そのものではなく、その「撮り方」、つまり撮影者のビジョンや考え方。
面白い写真が撮りたかったら面白く、キレイな写真が撮りたかったらキレイに、撮影者の心持ちひとつで、同じ場面をいかようにも撮れる。
だから、スナップ写真は現実を超えることができる。
スナップ写真は私たちにも可能な「奇跡」です。