「いい写真」の撮り方

「いい写真」の撮り方

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いい写真の撮り方

さて前回のポストはいい写真とは何かということでしたが、今回はいい写真の「撮り方」です。

いい写真ってなんだろう。写真をはじめた方なら必ずぶつかる疑問です。今回はその疑問に真正面から回答します。

みなさんご存知のように、「見る」いい写真と「撮る」いい写真は違います。

ある写真を見て「いい写真だな~」と思うことと、その写真を実際に撮ることは、全く別のことです。

みなさんにも、好きな写真やいいと思う写真はたくさんあるかと思いますが、そんな写真を実際に撮ることができますか?

撮れないとしたら、何が問題なのでしょう。

そしていい写真を撮るとは、どういうことなのでしょう。

今回は、いい写真の「撮る編」です。

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「写真のネタ帳」別館。写真のもっとわかりにくい部分を、もっとわかりやすく解説した記事はこちら。本体ブログよりも踏み込んだ内容です。

「いい写真を撮る」とはどういうことか

さて、いい写真を撮るにはまず、実際に現実の目の前の場面に「いい」を発見しなくてはいけません。

実際にいい場面を発見したら次に、それを「いい」感じに撮らなくてはいけません。

そして最後に、「いい」感じに現像処理なり画像処理を施します。

  1. いい場面
  2. いい撮り方
  3. いい処理

こういうことですね。

料理で言うなら

  1. いい素材
  2. いい調理
  3. いい盛り付け

そんな感じです。

つまり、入力から出力までを「いい」で貫くということです。

「見る」いい写真と「撮る」いい写真の違い

「見る」におけるいい写真は、すでに盛り付けが終わってテーブルに出された料理を、うまいかまずいか判断する、ということです。

「撮る」におけるいい写真は、素材の仕入れからテーブルに出されるまでの過程に、なるべく「いい」を盛り込む、ということです。

やっていることがまるで違います。

それは「食べ歩きグルメ」と「料理人」くらい違うことです。

その発想、哲学、主義主張が自ずから異なるのは当然ですね。

「見る」と「撮る」は全然違うということです。

「見る」いい写真と「撮る」いい写真の関係

さて、いい写真を「見る」ことは、撮るにおいて目指すべきゴールを把握するうえで有効です。

いい写真を見ることは、「こういう写真を撮りたい」という目標設定に生かされます。

しかし、意外と思ったようには撮れない、ということはよくあります。

それっぽく仕上げてはみるものの、何か違うと。

これが何を物語っているのかというと、その写真はあなたが撮るべき写真ではない、ということです。

写真の好き嫌いと、撮るにおける適性は、全く別の話、ということです。

キレイなお姉さんの写真を見るのが大好きだからといって、お姉さんをキレイに撮ることができるとは限りません。

サバの味噌煮が大好きだからといって、それを上手に作ることができるとは限りません。

もちろん、初心者の段階では、好きな写真を真似てみることは、上達のための有効な手段です。

「急がば回れ」なんて言葉もありますが、「最短」で写真が上手くなる手段をとる理由は、単純に「効率のため」だけではありません。もっと根本的な理由がそこにはあるのです。今回は初心者の方に特に有効な写真の勉強法をご紹介します。

しかしある程度撮れるようになり、本当のいい写真を撮りたいと思ったら、今度はそれなりの撮り方が必要です。

「作る」には、作るなりの論理に従わなくてはならないのです。

「撮る」におけるいい写真

では、作るにおける作るなりの論理とは何でしょうか。

それは「好きな料理」ではなく、「得意な料理」ということです。

得意料理は、みなさん結構ご自身で把握されていると思いますが、得意な撮影となると、そうでもない場合が多いのではないでしょうか。

なぜなら趣味の写真って、「好きな写真」を撮りたくなるからです。

好きな写真、憧れの写真、グッとくる写真。

スマホやSNSで、いくらでも身近にビジュアルが溢れかえる時代。

カッコイイ写真、すごい写真、感動的な写真はいくらでも目に入ります。

「自分もああいう写真が撮りたい」

それが写真を始める大きな理由です。

しかし、見て好きな写真と、撮るにおいて適性のある写真は、必ずしも一致しません。

違う場合もかなり多いでしょう。

そこに齟齬が発生します。

いい写真が撮りたかったら、あなたの「撮る」における適性にマッチした写真を撮る必要があります。

あなたが「見て」いいと思ったその「いい」は、その写真を撮った他人の「いい」です。

その「いい」に合わせることと、自分本来の「いい」に合わせることは、全然違うことです。

演歌歌手の八代亜紀はジャズが大好きで、本場ニューヨークのクラブでもライブを行いましたが、そこで最も観客に受けたのは、ジャズではなく演歌です。

つまりはそういうことです。

「いい写真を撮る」には、他人のいいを拝借するのではなく、あなた自身のいいが必要。

ということです。

あなた自身の「いい写真」を撮る

見るにおけるいい写真は、百人百様、千差万別でした。

撮るにおけるいい写真も同じく、百人百様、千差万別です。

いい写真ってなんだろう。写真をはじめた方なら必ずぶつかる疑問です。今回はその疑問に真正面から回答します。

それぞれがそれぞれの「いい」を持つのが自然な状況において、他人の「いい」を真似することは不自然です。

他人の「いい」はあくまで他人の「いい」であって、あなた自身の「いい」ではありません。

あなたがいい写真を撮るためには、あなた自身の「いい」を発揮するしかありません。

それがむずかしいのは、あなた自身にもあなた自身の「いい」が見えていないということでしょう。

他人の「いい」は、よく見えます。

現にあなたが好きな写真たちの中に、その「いい」は如実に表現されていますね。

しかしいい写真が撮れない場合、自分の「いい」(撮影における適性)はまだ自分自身にさえ発見されていないということです。

まずはそれを見つけてみましょう。

撮るにおける「いい」とは

撮るにおける「いい」は、見るにおける場合と同じで、もうそのまんま、「いい」が湧き上がるかどうかですね。

いつ、どこで、どんな写真を見ようとも、そのときあなたの内から「いい」が湧き上がったなら、それがすなわち「いい写真」です。

引用:「いい写真」とは一体何か?

これを「撮る」に当てはめると、

いつ、どこで、どんな写真を撮ろうとも、そのときあなたの内から「いい」が湧き上がったなら、それがすなわち「いい写真」です。

ということです。

そして「いい」は文字通り、湧き上がるかどうかです。

カメラ位置を変えたりモデルに話しかけたり、湧き上がるための工夫はできますが、「いい」を作ったり、どこかから持ってきたり、借りたりすることはできません。

セオリー通りのセットを組んで、完璧な準備をして撮影に臨んでも、なぜか「いい」が湧き上がらないこともあるし、何の準備もなく、突然目の前に「いい」が現れることもあります。

どんな場面を見ても、全くいいなあと思わない人もいれば、あらゆる場面に「いい」を発見する人もいます。

それは文字通り、百人百様、千差万別です。

そして「いい」が湧き上がらないならば、それはすなわちいい写真が撮れないということです。

「いい」が湧き上がらなくても、たまたま撮った写真がとてもよかった、ということはあるかもしれませんが、それは「撮れた」であって「撮った」ではありません。

つまり、ほとんど勝手に湧き上がる「いい」において、「いい」が湧き上がってくれなかったらいい写真は撮れないということです。

いい写真が撮れないのは、撮る場面でも、撮り方でも、処理の仕方でも、実際は全然いいと思っていない、ということです。

実は「いいと思い込んでいる」あるいは「いいと信じたい」、そんな撮り方をしているということも考えられます。(笑)

というわけで、「撮る」のどの段階でも「いい」が湧き上がってこないならば、いい写真を撮ることはあきらめましょう。(笑)

その時はもう、適性がなかったんだなということであきらめましょう。

本当の「いい写真」を撮る

しかしです。

そもそも、いい写真を撮ることは、本当に必要なことでしょうか?

いい写真が撮れないと、何か問題?

プロカメラマンならいい写真が撮れないことは死活問題かもしれませんが、我々趣味の人間は、別に死ぬことはありません。

そんなことよりも我々趣味の人間は、ただ撮ることを楽しめばよくないですか?

好きなカメラで、好きなものを、好きなように撮ればよくないですか?

写真は別に競争じゃありませんし、勝ち負けでもないし、死活問題でもありません。

そもそも、実生活の中での競争やら死活問題からの息抜きとして、そこからの解放として趣味の写真をやっているわけだし。

趣味の中でまた「いいね!」の数を競ったり、出来の優劣を競ったりするのって、しんどくないですか?

趣味の写真は心の底から楽しんで、喜びと解放を感じることができればそれでOKです。

いい写真なんて撮れなくても全然いいのです。

「いいね!」がもらえなくても全然いいのです。

つまり、あなたが今撮っているその写真で、全然いいのです。

あなたが撮っているその写真は、ある意味すでにいい写真です。(笑)

写真を始めた頃は、いろんなルールに縛られています。 絞りはいくつ、構図はポイントを三分割ラインに置いて、ホワイトバランスは少し青めにしたほうが「やった感」がでるかな、露出は白を飛ばさないように気を付けて…。 いろんなことに縛られながら撮り始めます。 だってそうしないと撮れないから。 基礎をひと通り身に付...

そもそもいい写真を撮りたいと思ったのは、それがいい気分をもたらしてくれると信じたからです。

しかし、いい気分になるために、いい写真は必要ではありません。

撮影が楽しければ、喜びと解放で満たされるなら、それはもういい気分です。

そして、いい気分で撮った写真は、いい写真です。

撮影の各段階を、いい気分で通過してきたならば、その結果出来上がる写真は、必然的にいい写真です。

撮影のあいだ中「いい」が湧き上がっているならば、それはもういい写真なハズです。

あれ?いい写真が撮れてる!?(笑)

まとめ

つまり、いい写真は「作るもの」ではなく、「できちゃうもの」ということですね。

湧き上がる「いい」は、作ることは出来ませんし、借りてくることもできません。

なんで「いい」が湧き上がってきたの?って、それは謎です。

見るにおけるいい写真についても、ある人はいいと思い、ある人はいいと思わない。

何でその違いが生まれるのかは謎です。

謎ですがしかし、そのいいが「ある」か「ない」かについてはわかります。

そして、「ない」ものを「ある」ことにしているのも、わかりますね。(笑)

「いい写真の撮り方」というタイトルで始めたこの記事。

その結論は、いい写真なんて別に撮れなくてもいいじゃない、という実に乱暴なものです。ヤバイよね。(笑)

しかし、「いい写真なんて別に撮れなくてもいいじゃない」という心持ちが実は、いい写真の秘訣だったりします。

なんだろ、この逆説。(笑)

つまり、「いい気分をもたらしてくれるからいい写真が撮りたい」という普通の発想の逆を行き、「いい気分でいるからいい写真が撮れる」が正解ということですね。

というわけで、「いい写真」は忘れましょう。(笑)

我々趣味の人間に、それは必要ありません。

それより撮る喜び、楽しさ、プレジャー、解放、自由、気儘さ、気持ちよさを存分に満喫しましょう。

その時「いい」は、湧き上がります。

そして「いい」が湧き上がる時、「いい写真」はあなたの手の中にあります。

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