「カメラ機材」と「写真の内容」には、一体どういう関係があるのか?

「カメラ機材」と「写真の内容」には、一体どういう関係があるのか?

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最近機材関連の投稿が続いていましたが、そもそも使用する機材と、それを使って撮る写真の内容にはどのような関係があるのでしょうか。

我々は機材を購入する際、非常に気を使って慎重に選択をします。

あれこれ情報を収集し、店頭でさわってみたり、何なら友人に借りてしばらく使ってみたり。

そのとき意識は完全に機材に向いています。

使い心地、機能性、写りの良し悪し、等々を細かくチェックします。

しかし実際の撮影のときには、ほとんど機材のことは忘れています。

それよりも被写体の状況や光の状況、アングル、立ち位置といった「写真の内容」を気にしています。

ここにミスマッチが生じます。

100%機材に意識を集中して買った、よし完璧。

しかしその機材を現場で使ってみると、実際にはフィーリングにズレが生じます。

なにしろ意識の焦点が違いますから。

撮影に意識が向いている時の使い心地は、「カメラそのもの」に意識が向いている時とは違います。

撮影に意識が向けば向くほど、カメラに対する意識は希薄になります。

そして100%撮影に集中するならば、カメラはほとんど無意識に使っていることになります。

実際の撮影において大事なのは、そんな無意識状態での使用感の方です。

写真の趣味をやっていると、我々の意識は二分されます。

カメラや機材に対する意識と、写真や撮影に対する意識です。

機材にしか興味がない、完全に「カメラ趣味」の人もいるでしょうし、機材には全く興味がない、完全に「撮影趣味」の人もいるでしょう。

でも一般的には「機材」と「撮影」に意識が二分されている場合が多いでしょう。

この2つの意識を統合し、さらに一段大きなくくりで物事を捉えることができるならば、我々の写真レベルも一段上がるはずです。

というわけで今回は、どうやってそこに到達するかを見ていきましょう。

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写真に限らず自由に書いています。思ったこと、考えたこと、感じたこと。写真はほとんどフィルムとライカと50mmです。ブログのほうではもちょっと専門的なことを書いています。→

目次

「カメラに対する意識」と「撮影に対する意識」

まず、「カメラ機材」と「写真の内容」との関係性を明らかにしましょう。

そもそもカメラによって、あなたが撮る写真の内容が変わりますでしょうか?

「今日はこのカメラを使ってください」「明日はこのカメラを使ってください」と、毎日カメラをとっかえひっかえされたとしても、あなたが撮る写真の内容は変わらないはずです。

「あーこのカメラは使いにくいな」とか「あーこのカメラは使いやすいな」とかはいろいろあるでしょうが、そのこととあなたが撮る写真の内容は、ほとんど関係ないはずです。

どんなカメラを使おうと、あなたはあなたが撮りたい写真を撮るはずです。

つまり、写真撮影において、カメラは関係ないのです。

カメラがなんだろうが、機材がどうだろうが、あなたは撮りたい写真を撮るのです。

これは「機材に対する意識」と「撮影に対する意識」が別物だから、そうなるわけですね。

機材は機材、撮影は撮影です。

逆にあなたがどんな写真を撮っていようと、欲しいカメラは欲しいし、好きなカメラは好きです。

あなたがどんな写真を撮っていようと、それとは全く関係なしに、カメラに対する意識もあります。

「完全にカメラだけの趣味」とか「完全に撮影だけの趣味」なら話はシンプルですが、カメラに対する意識もありつつ、撮影に対する意識もある場合は、ちょっと話が複雑になります。

「好きなカメラ」と「撮影にマッチするカメラ」が違うからです。

カメラ機材選択の基準

つまり、カメラ機材選択の基準は2つです。

  • 好きなカメラ
  • 撮影にマッチしたカメラ
絶対に失敗しないカメラ選び!?そんなものがあるのか!?と思われたかもしれませんが、実はあります。想像だにしなかった方法で。騙されたと思ってのぞいてみてください。本当に騙されるかもしれません。(笑)

このブログでもさんざん紹介している「ライカ」などは、わかりやすい例でしょう。

コアなファンが多いライカは、「好きなカメラ」ではあるけれど「使いやすいカメラ」とは言いがたい、というのが一般的な認識です。

実際ライカは、撮影機材というよりも「ファッションアイテム」という一面もあります。(と、自分で言っています↓)

逆にカシオやペンタックスなどの、ごくフツーのコンデジは、特に好きでもないけど、すごく使いやすいカメラかもしれません。

かゆいところに手が届いて操作も簡単。それなりの画質と気軽に持ち運べるコンパクトさで、気がついたら一番稼動しているカメラかもしれません。

世の中で一番の楽しみはイク瞬間である。あの手この手を使い無我夢中であくせくしながら、その時を迎える。そこまでたどり着くまでに相手の演技やあざとさが見て取れると一気に冷めてしまう。一方で相手のその時を逃さぬよう、注意深くその反応を探る。さらには自分と相手が同時になんて、甘い夢を見てしまうが、それがぴったりとあうことが何よ...

「完全にカメラだけの趣味」なら、「好きなカメラ」だけをガンガン買えばいいし、「完全に撮影だけの趣味」なら、完全に撮影にマッチしたカメラだけを買えばいいので、話は単純です。

しかし、その中間地点にいる大多数の人は、そこのバランスを取らなきゃいけないので、話は複雑です。

中間地点の大多数の人は、まずカメラを買おうと思ってカメラに意識が向くと、実際の撮影のことは忘れて、どんどんカメラ自体に没入していきます。

まずはカメラに意識が振れます。

そしてその結果として買ったカメラは、実際の撮影においては、なんか違和感を感じるということが起こり得ます。

カメラ意識から撮影意識に振幅が振れたときに、ギャップが生じるのです。

全く同じカメラを全く同じ人が使うのに、その意識状態によって操作フィーリングが全く異なるのです。

服が大好きで、すごくオシャレで超カッコイイ服を買ってみたけど、実際着てみると全然似合わなかった、みたいな話です。

この分裂を統合し、最高に気に入っているカメラで、最高の使用感を得て、最高の写真が撮れれば最高なわけです。(笑)

ではどのようにして、そんな夢みたいな境地に到達するのでしょうか?

「カメラ意識」と「撮影意識」を統合する方法

ここでひとつ、筆者の例を出しましょう。

筆者の場合、最高に気に入っているカメラで、最高の使用感を得て、最高の写真を撮っています。(笑)

カメラも大好き、レンズも大好き、使用感も最高で、撮った写真も大好きです。

「ん?大丈夫かなこの人。オメデタイ人?」(笑)

「そんな能天気なパラダイスみたいな話がある?」

と、思われたかもしれませんが、実際そうなんだから仕方ありません。(笑)

じゃあどうやったらそうなるのか、というところを探っていきましょう。

コツは2つです。

  • 人の意見を聞かない
  • こだわりを捨てる

人の意見を聞かない

まず、人の意見を聞かない。

「えぇ~そんなの不安だし」と思う人もいるでしょう。

でも安心してください。あなたがいるのは趣味の世界です。あなたが自由にやっていい世界です。ここは職場じゃありませんので。(笑)

でも、写真をはじめた最初のうちは、人の意見を聞くのもいいと思います。

最初は誰しも、何の手がかりも足がかりもない状態です。

そんな時には人の意見を参考にカメラを選んでみたり、写真の撮り方を試してみたりするのは、助走みたいな意味でいいと思います。

でも、ある程度手がかり足がかりを得たら、今度は自分の好きにやるのがいいと思います。

「カメラ選び」も「写真の撮り方」も「何が『いい写真』かの基準」も全部、自分の好きな通りに。

なぜなら最終的には自分の好きにやらないと、満足を得られませんので。

【写真の撮り方】シリーズ三部作の最終章は「上級編」です。いろんな撮り方が考えられる写真の中で、結局何がベストなのか?今回はそんな疑問に結論を出します。

ですからカメラについては、完全に好きなカメラを買います。

使い勝手とか、機能がどうかとか、自分の撮影スタイルとかは、全く考慮しません。

もちろん他人にアドバイスを求めることもありません。

完全100%自分の「好き」だけです。

「おいおい、でもそれだと撮影スタイルにマッチしないから、ギャップが出てくるんじゃないの?」

はい、そういう話でしたね。

それについては、撮影スタイルは捨ててください。(笑)

こだわりを捨てる

撮影スタイルというのは、絵に対するこだわりから生まれてきます。

こういう絵を撮りたいから、こういうふうに撮る、と。

「それは当たり前じゃないか、最高の1枚をゲットするために、みんなあくせく努力しているんじゃないか、それが写真の醍醐味じゃないか」と、思われるかもしれません。

もちろん、それは写真の楽しみ方の一つです。

でもそれが楽しみ方の全てではありません。

写真は何でもいいんです。

まあ例えばコンテストで賞を取りたい、あるいはクライアントに納品する必要がある。

そういう写真は、何でもよくありませんね。

ちゃんと目的に沿った写真を撮らなくてはいけませんね。

でも、何の目的もない、というか、それ自体が目的である趣味の写真なんて、何でもいいでしょう?

もちろん、こだわりをもって最高の1枚をゲットするというやり方も、ひとつの楽しみ方ではあります。

上手く撮れない、難しい撮影であればあるほど、それが撮れた時の喜びが増すという仕組みもあります。

ただそういう撮影の場合、その理想の写真が最上位にきて、「それを撮るための撮影スタイル」→「その撮影スタイルにマッチしたカメラ」と、撮影に縛りが出てきます。

もちろん、撮影に対するこだわりだけがあり、カメラに対するこだわりが全く無い、「完全撮影派」の人なら、それは全く問題ではありません。

でも、大多数の「中間派」は、ここでギャップが生じます。

カメラ意識、撮影意識に分裂している大多数の中間派は、カメラ意識で買ったカメラ機材を、撮影意識の中で使うときにギャップが生じ、違和感が生じます。

しかし、撮影に縛りを設けなければ、それはありません。

縛りとはつまり、こうしたい、こうじゃなきゃという一定の範囲をくくって、その内側と外側を区別する行為です。

内側に入ればOKで、外側はアウト。

カメラ意識のサークルの中では中心に位置するカメラも、撮影意識のサークルでは端っこの方、なんなら枠にすら入らない、みたいなことが起こり得るのは、そもそも内と外を分けるラインを引いているからです。

その内と外のラインを引くことを「こだわり」と呼んでいます。

君は内側だからOK、あなたは外側だからアウト。

そういうふうに区別することをこだわりと呼びます。

こだわりを捨てれば「何でもいい」になります。

本来写真は「何でもいい」です。

ただ単に撮影を楽しむのです。

最高に好きなカメラで好きに撮るわけですから、ただ単に楽しいだけです。

撮れた写真も、良い・悪いをジャッジせず、ただ楽しむだけです。

「おーこういうふうに撮れたんだー」と、ただ見て楽しむだけです。

「カメラ」と「撮影」を貫く最終的な意識

さて、この段階に来て「あれ?なんの話だっけ?」となっていませんか?(というか筆者がですが。笑)

「何を難しいことを考えていたのだろう? 別に写真ってただ楽しむだけだよね」

みたいな。(笑)

今回のトピックについては、頭で理解するより、気分で理解するほうが早いです。

なぜなら趣味の写真は頭で撮るものではなく、気分で撮るものだからです。

趣味の写真って、気分良ければそれでよくないですか?

趣味とはいえ「写真」って意外と、それをやっている時の「気持ち」を忘れて、頭で考えて物事を進めがちです。

でも最終的に趣味の写真は「気分良くなるため」にやっているのだから、頭で考えて考えた通りの絵が撮れたとしても、それで気分が良くならなかったらあんまり意味がないでしょう。

カメラを買う時の意識と、写真を撮るときの意識の分裂。

それはいついかなる時も一貫して気分がいいかどうかに着目すれば解決します。

「こだわり」は、物事がそのサークルの中に入っていれば気分がいいですが、そこから外れると気分が悪くなります。

そんなことになるくらいなら、こだわりは無くしてしまったほうがいいです。

「OKかアウトか」という意識で物事を見るのではなく、「好き」と「気持ちいい」だけに着目していればいいのです。

「好き」と「気持ちいい」だけを選択していれば、当たり前だけど、「好き」と「気持ちいい」しかありません。

パラダイスじゃない?(笑)

能天気なパラダイスは、こんなふうに簡単に実現できます。

あーやっぱり写真って超カンタンですね。(笑)

「ヤバイ!写真って超カンタン!」写真がいかに簡単かの仕組みを、初心者の方に向けて解説します。初心者がベテランになるまでの過程を説明し、その中で撮り手と写真がどう変化していくかを解説します。改めて写真って超カンタン!でした。
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