まとめ企画第3弾、今回は「写真家列伝」です。
【第1弾】
Hello World! これが写真のネタ帳だ!【オススメ記事10選】
【第2弾】
【写真の基礎をマスターしよう!】写真の基礎がわかる記事10選
「写真の内容」というものは、撮る人の個性や考え方に密接に結びついています。
写真を「撮る人」を理解することは、写真そのものを理解することにつながります。
今回ここで紹介する写真家たちも、かなり個性豊かな存在です。
そもそも写真に個性があり、その他大勢から際立って見えるのは、写真家本人の個性が際立っているからに他なりません。
他の誰でもなく、「本人自身」であればあるほど、個性的な、つまり他から抜きん出た写真が撮れるわけです。
そういう意味で本当にいい写真を撮るためには、テクニックや知識を身につけるよりも、個性を磨くほうが大事かもしれません。
ここに紹介する記事は「へーすごいなぁ」と他人事として読むのではなく、自分の場合はどうなんだろう?と意識しながら読むと、より深い意味を持って読めるでしょう。
写真と個性について、改めて考えさせられる記事5選です。
目次
アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は「決定的瞬間」にあらず
写真家といえばこの人、アンリ・カルティエ=ブレッソンでしょう。
写真界のゴッドファーザーとも呼ばれる彼は、スナップ写真のジャンルにおいては、頂点に君臨する人物です。
写真に興味のない人でも、名前は聞いたことがあるかもしれません。
そんな大御所のブレッソンではありますが、彼の写真を今現在、ふつうに見て面白いかといえば、そうでもありません。
いや、面白いですよ、最高に。
しかし現代のこのタイミングで、その写真がインスタグラムにアップされたとしても、人気アカウントになるとは到底思えません。
一部の人の間で人気にはなるかもしれませんが、おそらく一般ウケはしないでしょう。
彼がここまでメジャーになり得たのは、彼の個性や実力だけではなく、彼が生きた時代とのマッチングが大きかったのです。
まず、ライカという小型で簡便なカメラが登場したことによって、それまでなかったスナップショットという撮影が可能になったこと。
そして、そのスナップショットならではの撮り方を、一つのスタイルとして完成の域にまで高めたこと。
そして、写真雑誌の隆盛という、世の中のタイミングと軌を一にしていたこと。
この3つの要素が見事にマッチすることによって、彼は一躍時代の寵児となりました。
この中で最も大きな要素は、彼の写真を判断するのが一般の人ではなく、編集者やデザイナーなどの「プロ」であったという点です。
SNSなど無い時代、世の中に出回る写真は、雑誌などのメディアが主であり、そのメディアに掲載されるためには、編集者やデザイナーなどの「プロ」の目を通すことが必須でした。
写真を判断するのは、少数の「プロ」という時代です。
現代のSNSのように、一般の人のフォロワー数や「いいね!」の数によって判断される時代とは違ったのです。
彼の写真はハッキリ言って一般ウケはしません。
「ああ、確かに面白いね。でもかわいくもないしキレイでもない。モノクロでインパクトもないし」
と、そんなところです。
今の時代に生きたなら、少数のマニアックな人の熱烈な支持を受けて終わりでしょう。
写真界のゴッドファーザーにはなり得なかったはずです。
ライカと、彼の美意識と、グラフジャーナリズム全盛の時代。
この3つが見事に噛み合って、アンリ・カルティエ=ブレッソンという「ブランド」は誕生しました。
「アンリ」だの「カルティエ」だの、名前もちょっとブランドっぽいですね。(笑)
ヴィヴィアン・マイヤーに学ぶ、「いい写真」と「作品」の違い
お次はヴィヴィアン・マイヤーです。
彼女は言ってみれば「埋もれていた」写真家ですが、今ではすっかり有名な写真家になりました。
映画にもなり、写真展も開催され、写真集の売れ行きも好調です。
しかし、実は彼女は写真家ではありません。
「乳母」です。
彼女の職業は乳母であり、写真は趣味で撮っていました。
写真家でもない撮り手の、作品でもない写真が、偉大な傑作と世界で認められてしまったのです。
そういう意味で彼女は異色の「写真家」です。
彼女の写真は、まさに彼女の個性そのものです。
彼女の個性が、たまたま写真という形態をまとっただけみたいです。
ヴィヴィアン・マイヤーの個性と写真には、「作品ってなんだ?」「写真家ってなんだ?」と考えさせられる要素が多分にあります。
写真家ソール・ライターに学ぶ、写真を生きる方法
2017年の4月から6月にかけて、渋谷のBunkamuraで開かれた展覧会は、かなり盛況なようでした。
この展覧会で彼を知った人も多かったのではないでしょうか。
ソール・ライター。
彼もかなり独特な写真家です。
80年代にカメラマンとしての第一線を退くと、誰に知られるでもなくひっそりと、自分の好きな絵を描いたり写真を撮ったりして過ごしました。
富や名声に無頓着であった点は、前出のヴィヴィアン・マイヤーにもよく似ています。
彼の写真が日本で盛況だった理由は、Bunkamuraのプロモーションがうまかった点はもちろんですが、そもそも彼の写真が日本で受け入れられやすい性質を持っていたからです。
彼の写真は実に日本的です。
禅との関連性も指摘されています。
そういう意味で、宗教的でもあります。
もともと宗教家の家に生まれ、将来を嘱望されながら、全てをなげうって美に邁進した情熱家でもあります。
しかし彼の写真はそんな情熱とはうらはに、静かな精神性を湛えます。
ソール・ライターの写真は、彼の生き様そのものです。
「写真を生きる」とはどういうことか。
その静謐な写真が伝える内容は、小さくありません。
HIROMIX(ヒロミックス)に学ぶ、写真作品鑑賞の極意
HIROMIXの写真を一言でいうと「革命」です。
HIROMIXは写真家というよりも革命家といったほうがいいかもしれません。
当時も彼女が使っていたカメラの名前と共に「ビッグミニ・レヴォリューション」なんて言われてましたね。
文字通り当時の写真の常識を覆し、現在まで続くいわゆる「ガーリーフォト」の流れを創出したという意味では、彼女の存在意義は大きいでしょう。
この記事はHIROMIXの紹介とともに、そんな常識外れの革命的な写真をどのように理解すればいいのかのガイドとなっております。
イマドキの女の子写真がよくわからんという諸氏にもオススメです。
日本にフォトジャーナリズムを持ち込んだ男、名取洋之助の生涯とその功績
「名取洋之助写真賞」なる写真賞もありますが、これは主にドキュメンタリーの分野で活躍している35歳までの若手に贈られる賞です。
名取洋之助は、今で言うドキュメンタリーの分野において活躍した写真家です。
フォトジャーナリストと言ってもいいでしょう。
彼は写真家とはいえ「写真」そのものには興味がありませんでした。
彼が興味があるのは「写真が語る内容」です。
写真の階調や技術的な内容には興味がなく、それよりも何がどう写っていて、それで何を伝えるのことができるのか。
そんなことを考え、その手段として写真を用いた写真家です。
芸術方面の写真を「お芸術」と言って軽蔑していましたし、木村伊兵衛に言わせれば彼の写真はただの「下手くそ」です。
同じフォトジャーナリストでも、ユージン・スミスなどは何度もプリントを焼き直し、完璧な仕上がりを求めた「アーティスト」ですが、彼はそういう意味では「生粋の」フォトジャーナリストです。
彼の情熱の対象は「写真でどう語るか」、つまりフォトジャーナリズムそのものです。
自らの求める写真に対しては妥協を知らず、徹底的なダメ出しと潤沢な資金で破格の写真雑誌を次々と世に送り出しました。
日本人離れしたスケールの大きさと行動力は並外れたものがあり、「写真家」の枠には収まりきらない写真家です。
そういう意味で彼も異色の写真家です。
写真家と写真の関係
写真は写真家が撮る以上、写真家の個性そのものといっていいでしょう。
私たちは写真を撮るとき、「写真」にはとても注意を払いますが、「自分自身」に注意を払うことはあまりありません。
自分自身がどういう人物であり、どういう個性をもっているか。
実際、写真の内容に最も影響を与えるのはその点です。
今回の記事を読めば、その点がよく理解できるでしょう。
普段あまり顧みることのない、自分自身の個性について、この機会に振り返ってみるのもいいでしょう。