ミラーレスが一眼レフを超えるのは、規定の路線です。
それは歴史の必然と言ってもいいでしょう。
売上、出荷台数、投入される新作モデルのペース、そのスペックの進化ぶり。
それからプロカメラマンへの浸透ぶり、世間への浸透ぶり。
どの状況を見ても明らかです。
ただ、「いつ」超えるのか。
ここへきて、「ミラーレスは一眼レフを超えた」というフレーズをちらほら見かけるようになりました。
カメラグランプリは2017年はオリンパスの「OM-D E-M1 Mark II」、2016年はソニーの「α7R II」と、二年連続でミラーレス機が受賞しています。
「今」がその分岐点かもしれません。
というわけで今回は、あらためてミラーレスが一眼レフを超えることの意味について考えてみましょう。
そこには、かつて一眼レフがレンジファインダーを超えたことと同じような意味が見て取れます。
歴史は繰り返す。
我々は今再び、カメラ史上の転換点に立っています。
目次
一眼レフがレンジファインダーを超えた時代
まずは昔、一眼レフがレンジファインダーを超えたときの状況を振り返ってみましょう。
最初の35mmカメラの形式は「レンジファインダー」
35mmフォーマットのカメラが生まれた時、その形式は「レンジファインダー」でした。
レンジファインダーがどのような形式かは、以下の記事に詳しいですが、ザックリ言うとカメラに付いている「距離計」でピント合わせをするカメラです。
写真を撮るためには、
- 露出
- ピント
- フレーミング
の調整が必要です。
「露出」はシャッタスピードと絞り、「フレーミング」はファインダーで調整しますが、ピントはどうするのか?
最初の35mmフォーマットのカメラを開発したライカ(当時はライツ)が採用したのは、レンジファインダーという形式です。
ボディに距離計をくっつけて、あるいは組み込むことによってピント合わせを行いました。
初期のころは、測距用のファインダーとフレーミング用のファインダーが別々になっていましたが、ライカM3から、それはひとつになりました。
ひとつのファインダーで、フレーミングとピント合わせをいっぺんに出来るようになったのです。
これによって、より簡便に写真が撮れるようになりました。
小型軽量なボディ、簡便な操作。
ライカのカメラは必然的にヒットしました。
「こんなに簡単に写真が撮れるなんて!」
当時としては画期的なカメラです。
このカメラのあまりの完成度の高さに、日本のカメラメーカーはレンジファインダーをあきらめて一眼レフの開発に向かった、とも言われています。
最終的にライカは一眼レフに市場を奪われるわけですが、なんとも皮肉な話です。
カメラがヒットする理由
さて、カメラがヒットする理由、カメラが世間に受け入れられる理由。
それは、上記に見たように「簡単・便利さ」です。
三脚を立てなければ撮れなかったカメラが手のひらに収まり、冠布をかぶってピント合わせをしていたカメラが、距離計で簡単に合わせられるようになる。
広く普及するカメラは、より簡単で、より便利なカメラです。
「写ルンです」がヒットした理由も、まさにソレですね。
ライカが開発した35mmのレンジファインダーカメラは、それまでの常識をくつがえす簡単・便利さで、一気に世界に広まりました。
レンジファインダーの弱点
さて、そんな画期的な35mmレンジファインダーカメラですが、実はまだまだ改善の余地がありました。
実画像ではないファインダー
まずは、写真の「フレーミング」を司るファインダーですが、これは撮影レンズを通過した「実際に写真になる画像」を見ているわけではありません。
レンジファインダーにおいてフレーミングは、撮影レンズとは別の、カメラ本体にくっついている小窓から行います。
当然ながらそれは、実際に写真になる画像とは違うし、ボケ具合なども、実際に写真になってみないとわかりません。
パララックス
そして、撮影レンズとファインダーが別の位置にあるがゆえに、実際に写真に写る範囲と、ファインダーで確認した範囲にズレが生じます。
これは「パララックス」(視差)と言いますが、人間でも右目で見たときと左目で見たときの見え方にズレがあるのと同じです。
近距離のピント合わせが不可(=マクロ撮影ができない)
さらに、レンジファインダーは構造上、近距離のピント合わせが苦手です。
ライカも距離計に連動する最短撮影距離は70cmで、それより短い距離でピントを合わせることができません。
望遠レンズが使いづらい
また、広角から望遠までどんなレンズでも、カメラに固定の「ひとつのファインダー」で対応します。
画角の広い広角レンズに対応しながら、なおかつ望遠にも対応するということは、望遠レンズの写る範囲の表示が非常に小さくなるということです。
結果、望遠レンズがかなり使いづらくなります。
実際ライカでも135mmまでの枠しか用意していません。
この4点、
- 実際に写真になる画像とは違う画像のファインダー
- パララックス(視差)
- 近距離のピント合わせが苦手(=マクロ撮影ができない)
- 望遠レンズが使えない(実質135mmが限界)
これが、レンジファインダーが、まだまだ改善できる余地です。
レンジファインダーの弱点を克服した一眼レフ
これらはいっぺんに解決する方法があります。
それは、撮影レンズの画像をファインダーにしてしまうことです。
そしてそれを実現したのが、一眼レフです。
一眼レフによって、
- 実際の写真と同じ画像のファインダー
- パララックス(視差)の解消
- 近距離のピント合わせOK(ボディ側の物理的な制約がなくなった。ピントの合う最短距離はレンズ次第)
- いくらでも長い望遠レンズが使える(限界はレンズ次第)
これらを一気に実現しました。
すなわち、レンジファインダーを上回る簡単・便利さを実現したのです。
マクロから超望遠までをカバーし、撮影レンズを通したズレのない実画像を確認しながら写真が撮れる。
そして、オートフォーカスやオート露出、自動巻き上げや高速連写など、ますます機能を充実させながら、「あらゆる撮影をもっとも簡単・便利に撮るカメラ」として不動のポジションを獲得し、現在に至ります。
ミラーレスが一眼レフを超える時代
そしてここにきて、「ミラーレス機」が登場します。
360°スキがない万能カメラに見えた一眼レフにも、世代交代の時代がやってきました。
成熟を極めた一眼レフの、いったいどこが弱点だというのでしょう?
それは端的に言うと、
- ミラーを使ったシステム
- メカニカルシャッター
この2点です。
すなわち、物理的制約です。
一眼レフの弱点
一眼レフは、撮影レンズの画像をミラーを使ってファインダーに送り込むというシステムです。
そのため、撮影時には、ミラーを跳ね上げて撮影レンズの画像をセンサー面に送り込むという物理的な手間が発生します。
また、ペンタプリズムという、左右反転したレンズの画像を正像に戻すための専用の部品も必要になります。
シャッターも、シャッター幕が実際に上下に動いて露光量を調整するので、音や振動や物理的な速度の限界もあります。
そして、それら物理的なメカを収めるためのサイズの確保や重量の増加…。
すなわち、一眼レフまでは、カメラはあくまで「メカ」だったのです。
そして「メカ」を廃し、それゆえに生じる制約を取っ払って、カメラを「電子デバイス」として取り扱ったのが、ミラーレス機です。
正直、一眼レフにおけるミラーもメカニカルシャッターも、これまでは弱点でも何でもありませんでした。
むしろ「よくこんな方法思いついたな、素晴らしい!」と、称賛されるべき要素だったのです。
しかし、その美点は「完全電子式」というミラーレスに比べると、欠点に見えてしまいます。
ミラーレスの登場によって、一眼レフの「素晴らしさ」は「残念さ」に変更されてしまったのです。
ミラーレスが一眼レフを超える理由
ミラーレスが一眼レフを超える理由もやっぱり、より簡単・便利だからです。
少し前までは、AFも遅く、液晶ビューファインダーの遅延もはなはだしく、とても使いづらいカメラでしたが、技術の進歩により、
- 露出・色味等を補正後の「実際に撮れる絵」を撮影前に確認できる
- 動体AFの高い追従性
- ほとんど全画面をカバーするフォーカスエリア
- 速さ、正確さだけではない、顔認証・瞳AFなどのユーティリティなAF
- 無音、無振動な電子シャッター
- 電子シャッターによる超高速シャッターや高速連写
- ブラックアウトしないファインダー
- 小型軽量
これらを実現して、なお進歩の余地がまだまだあります。
一眼レフは、ミラーボックスやメカニカルシャッターという物理的な拘束ゆえに、なせる技術はほぼ限界に達しています。
新機種に盛り込まれる機能も、もはや目新しいものは見られなくなりました。
ミラーレスではそのような物理的な限界を回避し、カメラの動作を「電子的」な領域に移行することによって、青天井の伸びしろを獲得しました。
「物理的限界」という溜め池に住んでいたカメラを、大海に解き放ったです。
カメラで商売をするということ
そして、カメラで商売をしている企業にとって、もはや新機軸を打ち出せないカメラは、商売にならないカメラです。
「商品」は次から次に新機軸を打ち出し、魅力を付加し、売っていかなければなりません。
すでにドン詰まりに達している一眼レフよりも、伸びしろのあるミラーレスのほうが商売になりやすいのは、言うまでもありません。
長い目で見た場合はなおさらです。
先を見据えた球団運営のためには、45才のベテランを使い続けるより、20才のルーキーを使っていくのが筋です。
冷酷ながら、それがビジネスです。
これは好き嫌いの問題ではなく、死活問題です。
そういう「ビジネス的」な意味においても、ミラーレスは一眼レフを超えてきているわけです。
「ミラーレス以前」と「ミラーレス以後」のカメラの違い
さて、カメラはミラーレス以前とミラーレス以後で、まったく別物に進化しました。
ミラーレス以前、カメラは「メカ」でしたが、ミラーレス以後、カメラは「電子デバイス」です。
そのことを端的に示しているのが、現在ミラーレス市場で覇権を握っているのが「ソニー」であるという事実です。
カメラメーカーではなく家電メーカーです。
カメラは、もはやカメラではなく、「家電」なのです。
ソニーというメーカー
ソニーは、ミノルタのαシステムを引き継いだ、いわゆる「一般的な一眼レフ」であるAマウントのカメラでは、鳴かず飛ばずでした。
「は?ソニー!?」ってなもんです。
ソニーのロゴをパーマセルテープで隠して使っていた人も実際にいました。
(昔ユニクロのタグを切って着ていた人もいたというエピソードを思い出しますが、、)
いわゆる「カメラマン」の反応としては、「なんで家電メーカがカメラやってんの?」という場違いな印象が一般的でしたでしょう。
家電メーカたるソニーは、そんなAマウントの一眼レフカメラを、ミラー固定式の電子ビューファインダー専用機にしたりと、家電屋らしい奮闘も見せます。
しかし、「これまでのカメラ」である一眼レフの土俵においては、苦戦を強いられていたのは否めない事実でしょう。
ソニーの時代
そんなソニーも、ミラーレスに特化したEマウントで、がぜん息を吹き返します。
電子デバイスなら「まかせとけっ!」ってな勢いで、いまだに「カメラ」をやっている他メーカーをぐんぐん引き離しました。
「もうカメラはカメラの時代じゃないんだゼ」と、水を得た魚状態で、快進撃を続けます。
巨大企業の資本力、自前でセンサーを開発できる技術力、Aマウントの経験による「カメラ的」な蓄積。
それらがうまくかみ合って、ソニー1強時代が出現しました。
2017年現在、フルサイズに対応したミラーレス機は、実質Eマウント1択です。
プロサービスにも乗り出し、「プロ御用達」であるキヤノン、ニコンの牙城を切り崩しつつもあります。
カメラが「メカ」から「電子デバイス」へと進化したことによって、カメラ界の勢力図は塗り替わりました。
もちろん、キヤノンやニコンといった、「これまでの」カメラメーカーも、指をくわえて見ているわけではないでしょう。
追記:2018年、キヤノン、ニコン共にフルサイズミラーレス機発表。
しかし、「これまでの」メーカーにとっては、一眼レフの蓄積が逆に足かせにもなります。
これまでのユーザーを大勢かかえているメーカーは、マウント変更にも慎重にならざるを得ません。
一眼レフのマウントを流用するにしても、ミラーを組み込むことを前提とした一眼レフ用のレンズはフランジバック(マウント面からセンサー面までの距離)も長いので、小型化にも、光学的な最適化にも限界があります。
一眼レフのボディとのマッチングで作られたレンズの流用は、やはり専用設計にはかなわないでしょう。
かつてキヤノンは一眼レフのマウントを電子化する際、未来を見据えて大胆に径を変え、これまでのユーザーを置いていく攻めの姿勢を見せました。
しかし、世界の隅々にまでキヤノン製カメラが行き渡り、圧倒的多数のユーザーを抱えるグローバル企業となった現在では、それもなかなかむずかしいでしょう。
ソニーは「新参者」のアドバンテージを大いに生かし、古参メーカーがもたつく中を、着々と地歩を固めつつあります。
カメラ界は今、かつてレンジファインダーが一眼レフに飲まれた時代と同様の「変革の時」を迎えているのです。
一眼レフからミラーレスへのシフトは、「写真」に何をもたらすのか
かつてのレンジファインダーから一眼レフへのシフトは、超望遠やマクロ撮影という、撮影の可能性の大幅な拡大をもたらしました。
また、「実際に写真になる画像」を見ながら撮影することは、最終仕上がりのコントロールを容易にします。
カメラがより簡単に、より便利になるということは、できなかったことがどんどんできるようになり、そして、難しかったことが、どんどん簡単になるということです。
レンジファインダーから一眼レフへの移行は、制約の多かったカメラの限界点をうんと先に伸ばしました。
そして、一眼レフからミラーレスへの移行は、制約そのものを取っ払いました。
そのようにして、撮れなかった写真が、どんどん撮れるようになる。
また、アナログからデジタルへの移行によって、表現できなかったものが表現できるようにもなりました。
我々はかつてないほどの撮影の自由と表現の自由を手に入れました。
かつてないほど、「何でもできる」時代です。
そんな時代。
不思議な現象が起きています。
誰もがクオリティの高い写真を簡単に撮れるようになったために、写真の価値が相対的に下がってきているのです。
綺麗な写真、美しい写真、カッコイイ写真、すごい写真。
そんな写真はいくらでもネット上にあふれています。
すでに10万枚も20万枚も溢れているそれらの写真の、10万1枚目を加えることに、どれほどの意味があるでしょう?
かつて、フォトジャーナリズム全盛の頃は、「1枚の写真が世界を変える」そんな輝きをもったビジュアルも可能であったことでしょう。
しかし今のこの時代は、一瞬「おおすごい」となっても、次の瞬間にはもう、その他のビジュアルの洪水に押し流されています。
この自由度の高い時代に我々が写真で幸福を得るためには、新しい時代にマッチした、新しいビジョンが必要です。
「簡単=難しい」「便利=大変」
簡単・便利は「誰でも撮れる」ということです。
あなたじゃなくても。
そんな時代においてあなたが撮る意味は?
写真のパラメーターは、いかようにもいじれます。
明るく・暗く、鮮やかに・ゆるふわに。
いかようにもいじれる中で、そこに確定する理由は?
簡単であるということは、すなわち難しいのです。
便利であるということは、すなわち大変なのです。
この時代の写真、意味や理由をハッキリさせないと、ただの洪水の中の一滴です。ひとえに風の前の塵に同じです。
かつてないほどの撮影の自由と表現の自由を手に入れたこの時代。
かつてないほど、「何でもできる」時代。
それはすなわち、かつてないほど写真が難しく・大変な時代でもあります。
写真の難易度と価値の関係
かつて「写真師」は、医者や弁護士と並び称される、大変社会的地位の高い職業でした。
写真が「難しかった」頃の写真は、ただひたすらその難しさを克服しさえすれば、高い社会的地位を得ることができました。
その時代の写真は、やることが決まっているので、ある意味「簡単」なのです。
そして、医者や弁護士は現在でも高い地位をキープしていますが、写真師はどうでしょう。
そもそも「写真師」なる職業が、すでにありません。
写真は、カメラなど、テクノロジーが肩代わりできる部分があまりにも大きくなりすぎて、誰にでも簡単にできるものになってしまいました。
高度に特殊だった写真は、テクノロジーによって一般化されすぎてしまったのです。
かつては「写真師」なる、その道を究めたエキスパートだけが独占していた写真は現在、なんの経験もない小学生にも簡単に撮れる代物になりました。
テクノロジーの進歩が、権威を失墜させたのです。
逆に医者や弁護士が今でも高い地位をキープしているのは、テクノロジーが肩代わりできない部分を人間が握っているからです。
では、写真において、テクノロジーが肩代わりできない部分とは何でしょうか?
カメラはミラーレスにシフトし、簡単・便利はますます加速します。
そのことは我々に、写真を撮ることの根源的な問いを、ますます突き付けてくるのです。
まとめ
結局、デバイスの進歩とあなたの写真にはどんな関係があるのか?
デバイスの進歩は大いに結構でしょう。
「誰にでも簡単に撮れる」。
素晴らしいことです。
「難しいことを簡単にする」のは、大変な価値です。
しかし「ただ簡単なことをする」のは、大した価値ではありません。
難しい撮影を、簡単な撮影に押し下げたソニーの開発陣が成し遂げたことは大変な価値です。
しかし、誰にでも簡単に撮れるソニーのカメラで、簡単にキレイな写真を撮ることは、大した価値ではありません。
それは誰にでもできます。
だからこそあなた自身が問われます。
簡単にできることをただ簡単にやっただけでは意味がありません。
デバイスの進歩は、あなたとあなたの写真との関係を問うてきます。
「さあ、地面は平らにならした。どこへでも自由に行けるぞ。さあどこに行く??」
森山大道はそこらへんに売ってるコンデジで「作品」を撮っています。
サンダルで気軽に歩ける地ならしの恩恵を、さらりと受けています。
Where do we go hey now?
あなたはどちらへ?