(今回は前回↓の続編です)
さて前回、「写真家」なるものについて分析を試みたわけですが、ひとくちに「写真を撮る人」といっても、その呼称はいろいろとあります。
- 写真家
- カメラマン
- フォトグラファー
- フォトジャーナリスト
- 写真作家
- 撮影者
- カメラ女子
- カメラ小僧
- 撮り鉄
…などなど。
さらにこれらの前に「撮影ジャンル」などがくっつくと、
- 風景写真家
- 広告カメラマン
- プロフェッショナル・フォトグラファー
などなど。
細分化するとキリがありません。
「歌は世につれ世は歌につれ」なんていいますが、写真を撮る人の「呼称」もまた同様です。
今回は写真を撮る人の「呼称」の変遷と、「写真そのもの」との関連を見ていきましょう。
呼称の変遷は時代の変遷をよく表していて面白いものですが、それはまた「写真」の変遷をも表しています。
目次
写真を撮る人の「呼称」の変遷
まずは、「写真を撮る人をなんと呼ぶか」の呼称の変遷を見てみましょう。
「写真師」の時代
古くは(明治・大正のころ)写真を撮る人のことを「写真師」なんて言ったりしました。
まるで魔術師、奇術師のようですが、昔の人には写真は奇術に思えたのかもしれません。
そもそも昔の写真は、薬品の調合からモデルのポーズ付けまでを全てこなす、専門職中の専門職でした。
ですから写真師の「師」には医師、技師、教師、みたいな「先生」「専門家」みたいなイメージがあります。
そして、当時の「写真師」とはほとんど、今でいう「営業写真家」です。
つまり町の写真館をやっていました。
昔は写真で収入を得るといえば、ほとんどが「ポートレート」、つまり今で言う写真館やスタジオアリスみたいな「営業写真」です。
写真の最も大きな需要が、ポートレートだったのです。
当時は印刷技術が未発達で、広告写真なんて発想はまだありません。
そしてこの時代、今からは想像がつかないかもしれませんが、写真を撮る唯一の手段は「写真館で撮ってもらう」ことだけでした。
一般人はそもそも、カメラすらもっていない時代です。
「写真を撮りたい」ってなったとき、写真館しか方法がなかったのです。
今なら写メでパチパチやっているあれを、わざわざ写真館に行かなくてはできなかったのです。
わざわざ写真館に行って、櫓のようなアンソニー(大型のカメラ)の前で2枚程度シャッターを切ってもらい、1か月後とかに受け取る。
…ウソみたいな手間ひまです。
そんなわけで写真師は写真の需要を一手に引き受けていたわけですから、そりゃあ儲かるし、また責任も重大です。
おのずと写真師は尊敬され、「先生」とも呼ばれるわけです。
そして当時の写真館は、多くの弟子をかかえながら運営する、いわゆる徒弟制度です。
弟子にとって先生は「師匠」でもあります。
このように、かつての「写真師」とは、写真の「専門家」であり「先生」であり「師匠」。
つまりは写真の「権威」です。
しかるに時代は流れ。
写真撮影にもはや「権威」は必要なくなりました。
弟子から入る長い修行も、手間ひまも技術も必要ありません。
いまどき写真は、まるくて小さいボタンを「ポチッ」と押すだけです。
「写真師」なる呼称がすたれるのは、必然の流れです。
ちなみに現在でもいくつかの「写真師会」という団体がありますが、そのほとんどはやはり、営業写真家の集まりです。
「写真家」「カメラマン」の時代
そして時代は下って現代。
撮り手の呼称は、「写真家」「カメラマン」といったあたりが一般的になりました。
カメラは一家に一台、一人一台の時代です。
カメラ雑誌は部数を伸ばし、写真家の浅井慎平がクイズ番組のレギュラーになる時代です。
写真やカメラは「あたりまえ」として広く行き渡りました。
そして「写真家」「カメラマン」は最初にも見たように、そのあたまに「接頭語」をつけて、
- 報道写真家
- 芸能カメラマン
といった様々なバリエーションでも使われます。
写真はそれだけ、豊かなバリエーションを展開するようになったのです。
ちなみに「写真師」が「写真家」に変わったわけですが、
- 「師」=専門家・先生=権威
- 「家」=一家言ある人=アーティスト
そこにはこんなイメージの変更も感じられます。
この「師」→「家」への流れは、写真の「専門的」→「一般的」への流れとも軌を一にしています。
昔は専門の技術者にしか撮れなかった、ほとんど「秘術」的であった写真が、今では誰にでも撮れる簡単なものになりました。
「インスタグラマー」の時代
そして最近では、「インスタグラマー」なる呼称が出現しました。
「インスタグラム」を「する人」、です。そのままです。
この呼称の画期的なところは、もはや「写真」も「カメラ」もその単語には付いていないところです。
今までの呼称にはほとんど、「写真」「カメラ」に関連するワードが付いていました。
- 写真家
- カメラマン
- フォトグラファー
- フォトジャーナリスト
- 写真作家
- 撮影者
- カメラ女子
- カメラ小僧
- 撮り鉄
しかし「インスタグラマー」には付いていません。
「インスタグラム」を知らなければ、それが何なのか想像もつきません。
「インスタントにグラマー?新手のダイエット食品??」
ともなりかねません。
というかフツーはソッチですね?

インスタントにグラマー!
そうです。
ついに写真は「写真」からも「カメラ」からも自由になりました!
これは写真におけるひとつの「脱皮」と言っていいでしょう。
写真は写真を脱ぎ捨てたのです。
いわゆる「変態」です。

変態!
photo:aussiegall
写真をひとつの「生物」に例えると、今は「変態の時期」と言っていいでしょう。
デジタル技術の発展とともに、写真はダイナミックにその意味を変えつつあります。
そんな変態チックな時代を、「写真家」と「インスタグラマー」の関係を軸に、さらに読み解いていきましょう。
写真家とインスタグラマーの違い
さて前回、「写真家」というものの仕組みについて解明しました。
まずはその「写真家」と「インスタグラマー」の関係を明らかにしてみましょう。
果たしてインスタグラマーは「写真家」と言っていいのでしょうか??
その違いは「写真」で判断するものではありませんでしたね。
それは、まわりや自分がその人を「何者」と認知しているか です。
インスタグラマーとは何者?
写真家にはいろいろな「写真家度」がありましたが、最低限、
- 自分で写真家と認めている
- 世間が写真家と認めている
のどちらかが必要です。
インスタグラマーであっても、上記いずれかに当てはまれば立派な写真家でしょう。
しかし、
- 自分で写真家と認めていない
- 世間が写真家と認めていない
であれば、誰がどう考えても、それは写真家ではありません。
多くのインスタグラマーが「写真家ではない」のは、自分も他人もそう認めていないからですね。
自分も他人もそう認めていない、つまり誰ひとりそう認めていないわけですから、それはもうどうしようもなく「写真家ではない」わけです。
では本人や世間が、インスタグラマーたちを何と認めているかと言えば、それはもうそのまま「インスタグラマー」に他なりません。
写真家とインスタグラマーの「イメージ」の違い
さて、「写真家」と「インスタグラマー」はまったく別物でした。
もはや別種の認識のされ方をしています。
では、そんな2者の「イメージ」はどうでしょうか?
現在、写真家には何か「アーティスト」「巨匠」みたいなイメージがあり、インスタグラマーには何か「趣味の延長」みたいなイメージがあります。
ここが伝統的な名称と新種の名称とのギャップですね。
つまり「写真家」のほうが格が上、みたいな印象があるかもしれません。
しかし、その逆転現象はもう始まっています。
インスタグラマーの現実
インスタグラマーの1つの特徴を、「経済的観点」から見てみたいと思います。
いわゆる「写真家」の写真展や写真集の売上がどれくらいあるのかは知りませんが、いわゆる「人気インスタグラマー」は 月給程度はザラに稼いでいます。
また、インスタ経由で撮影の案件が発生するのはもはや普通だし、発注元も ディオール や ユニクロ、トヨタ や メルセデスベンツ といったビッグネームだったりします。
そして企業が撮影を、いわゆる「写真家」や「プロカメラマン」に頼むのではなく、人気インスタグラマーに発注するというサービスも、すでに始まっています。
プロが撮影した「いかにも」な写真は、ネット上ではクリックされにくいという現実があり、それよりはインスタ受けする「インスタジェニック」な写真が撮れるインスタグラマーに仕事を振るという流れです。
そういえば今朝もドトールで、向かいの女子グループから「インスタで見つけたんだけどさぁ~」なんて会話が聞こえてきました。
「インスタ受け」
たしかに。
「呼称」は常に一過性
もちろん、「経済的側面」だけで全体のイメージは云々できませんが、ひとつの流れは見て取れます。
「写真家にあこがれる」という少年少女の夢は、近い将来「人気インスタグラマーにあこがれる」に取って代わられるかもしれません。
実際、昔は医師・弁護士に並ぶあこがれの職業であった「写真師」という言葉は、今では死語です。
同様に「写真家」という言葉が、100年後もあるかどうかは、わかりません。
写真の本当の力
「写真を撮る人」にはいろいろな呼称が発生し、時代によりその言葉もまた変遷します。
「写真師」「写真家」「カメラマン」「フォトグラファー」「インスタグラマー」…。
そして、言葉の変遷はまた、その言葉が表すものの変遷でもあります。
ある時期は写真師がもてはやされ、またある時期はインスタグラマーがもてはやされる。
写真師の隆盛時は、紋付袴で馬車に乗って撮影に出かけたそうです。
現代で言えば仕立てのスーツにリムジンで現場に乗りつける、という感覚でしょうか。
また、写真家やカメラマンが、ギャラの値崩れで廃業に追い込まれる中で、インスタグラマーは「本業のかたわら」で月給以上を稼ぐ…。
そんな栄枯盛衰、盛者必衰が世の理です。
しかしそんな変遷する時代の流れの中で「写真そのもの」はどうでしょうか。
いまこそ「写真力」
目まぐるしく変わる時代の変遷の中でも、写真のマスターピースは時を超えて受け継がれ、色あせる気配はありません。
「写真師」という呼称はなくなりましたが、「写真師」であった上野彦馬が撮った坂本龍馬の写真は、時を超えて受け継がれ、展示の際にはいつもどえらい行列をつくります。
(一度並んだことがありますが、本当に何十分も並んで、見るのは数秒でした…)
というか、そんなたいそうなものじゃなくてもいいです。
あなたが子どもの頃の写真や、あなたの子どもの写真、その家族アルバム。
思い出の写真、お気に入りの写真、大切な写真。
無名の誰かが撮った、マスターピースでも何でもない写真。
あなたにとってだけ意味がある写真。
そんなものでもいいです。
改めて。
変遷する時代の流れの中で「写真そのもの」はどうでしょうか。
改めていまこそ「写真力」
写真界のゴッドファーザー、アンリ・カルティエ=ブレッソンは、いみじくも言っています。
写真はその誕生以来、技術面を除いてはなにも変わっていない。そして私には技術的なことは重要ではない。
(太字筆者)
技術は変わる、呼称もまた変わる。
写真はガラス板に薬品を塗りつける作業から、スマホというガラス板を指先でなで回す作業に変わりました。
「写真師」なる、医師・弁護士と並び称されるような重々しい呼称は消え、「インスタグラマー」なるインスタントでキャッチーな横文字が登場しました。
栄枯盛衰、盛者必衰は世の理です。
しかし、そんな中にあって、写真に「変わらない要素」があるとしたらどうでしょう。
それこそが写真の「力」ではないですか?
まさに篠山紀信の言っていた「写真力」です。
「変わらない部分」があるからこそ、写真は時を超えるのです。

©Kishin Shinoyama
オノ・ヨーコとジョン・レノンのキスは、永遠にラブ&ピースの象徴であるはずです。
それは100年後も200年後もそうであるはずです。間違いない。
写真本来の「力」。
結局それを生み出すのは、写真家でもインスタグラマーでもありません。
そういった時代の変遷に左右されないもの。
もっと根本的なもの。
それは上野彦馬であり、アンリ・カルティエ=ブレッソンであり、篠山紀信であり、そしてあなた。
どんな時代でもパワーの源泉は、
生きて呼吸する1個の「人間」であり、
そこに固有する1個の「個性」であり、
それが生み出す1個の「思い」です。
篠山先生のポスターをよく見てみてください。
「ザ・ピープル バイ キシン」です。

©Kishin Shinoyama
ザ・ピープル。
定冠詞つきの「人」です。
替えのきかない「個性」こそが「写真力」であると、日本の写真界のドンが宣言しています。
間違いない。
まとめ
インスタグラマーの稼ぎには正直びっくりです。
この先、写真の多様性と可能性はますます開発されていくことでしょう。
この変態の時代の先にあるのは蝶かさなぎか。
あるいはリアルな意味での変態か。(笑)
いずれにしてもこの流転と発展は止められない流れです。
そんな中でも覚えておきたいのは「写真そのものの力」。
やっぱりブレッソンが言うように、写真は誕生以来変わらない部分、どんなに変遷を繰り返しても変わらない部分を持っているのです。
それはいってみれば、あなたとあなたの個性と、そこから生み出される写真です。
変化するのは常に時代や外側の状況であって、あなた自身は生まれたときからちっとも変わっていません。
変わったのは、肉体や考え方やまわりの環境といった「外側」であって、「あなた自身」は生まれたときからちっとも変わっていないはずです。
写真はその誕生以来、技術面を除いてはなにも変わっていない。
あなたも誕生以来「外側」を除いてはなにも変わっていません。
そしてブレッソンにとって技術的なことが重要ではなかったのと同様に、あなたにとっても外側はそんなに重要ではないのです。
本質とはつまり、そういう「外側に合わせる」のをやめることです。
やれインスタグラマーだ、やれいくら稼いだだ。
私たちはそんなイケイケドンドン・アゲアゲフィーバーに疲れたときは、いつでもそんな本質に帰っていいのです。
写真にはそんな「帰るべきおうち」があることも、忘れないでおきましょう。
「ただいま」
「おかえり」