「写真が思ったような感じに写っていない」
写真における問題は、結局この1点に集約されるのではないでしょうか。
写真は思ったような感じに写っていれば成功だし、思った以上に写っていれば大成功です。
しかし、思った以下の写りであれば、その原因をつきとめ、改善する余地があります。
「思った以下の写り」
それは、現実に見えた光景と、写真に写った内容のミスマッチと言えます。
現実はすごくいい感じに見えるのに、写真は全然いい感じに見えない。
逆に「思った以上の写り」は、現実に見えるものはそうでもないけど、写真になってみるとすごくよく見える。
これはすなわち、「現実」と「写真」は違うということを表しています。
写真は現実を撮るわけですから、現実のコピーであると言えます。
だから撮るほうも、まるっきり同じものを期待してしまうわけですが、実際は両者は全くの別物です。
その違いを理解し、コントロールできれば、あなたの写真も大いに向上することでしょう。
目次
「現実」と「写真」の違い
ではまず、現実とは違う写真ならではの特徴を挙げてみましょう。
- 立体(3次元)ではなく平面(2次元)
- 四角い「範囲」がある
- 時間が流れない
- 音や匂いのない「視覚」のみで構成されている
さらには、
- レンズの描写力が反映されている
- センサーの性能が反映されている
- 画像処理エンジンの特性が反映されている
という特徴もあります。
上の4つは、言ってみれば「本質的」な違いであり、下の3つはハードウェアの能力の話です。
今回はより本質的な、上の4つの違いに着目してみましょう。
写真写りを決定づける4つの要素
では、4つの要素を1つずつ詳しく見ていきましょう。
写真は立体ではなく「平面」
まずは「立体」と「平面」の違い。
これはまず最もわかりやすく、目につく違いですね。
現実は、縦横高さといった「空間」ですが、写真は一枚の紙ペラ、あるいはモニターに映る「平面」です。
よくあるトリック写真なんかは、この「立体」と「平面」の違いを生かして撮っていますね。
写真は奥行のない平面であるから、このようないわゆる「トリック」も成立します。
それから人物写真においては、背景の水平や垂直のラインが首もとや頭の背後に来る、いわゆる「首切り」や「串刺し」はタブーとされています。
それもやはり、写真が奥行きのない平面であるがゆえに、そのように見えるわけですね。
キレイでおしゃれなファッションフォトも、裏を見ればピンやクリップで服のあちこちが留めてあったりします。
写真は平面ですから、裏側は見えません。
それからモデルの立ち方が、ど正面ではなく少し横向きに立つことが多いのは、正面より横のほうが細く見えるからです。
多面的に捉えられる現実の3Dに対して、写真が捉えるのは、文字通り物事の「一面」です。
写真は四角い「範囲」
写真は、現実の空間の「一部」を切り取ります。
全部ではありません。かならず「一部」です。
どんな写真も本来であれば、上下左右に無限に広がる空間があるはずです。
しかし、その他を切り捨てて、あえて「そこ」だけを切り取っています。
現実の空間は目を転じればいろんなものが見えますが、写真は「それ」しか見えません。
つまり、文脈が切り捨てられているのです。
長い文章の中の、ワンフレーズだけを引用するのです。
「富士には月見草がよく似合う」
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
このフレーズだけから受ける印象と、「富嶽百景」「学問のすすめ」全体から受ける印象はまた全然異なります。
写真も、その場全体の印象と、選択して切り取った一部分の印象は、自ずと異なります。
華やかなパーティー会場も、着飾ったドレスでにぎわう現場と、食べ残しの残飯が捨てられたゴミ箱では、その印象は全然異なります。
何を選択するか、どの一部分を切り取るか。
この「選択性」。
これも写真の大きな特徴のひとつです。
写真は「時間」が流れない
現実は一瞬たりとも止まっていません。
常に時間が流れています。
しかし写真では時間は流れません。
永遠に止まっています。
この違い。
「変化」と「固定」。
一瞬たりともとどまらない現実の、その一瞬をとどめるわけですから、現実と写真が違って見えるのも当たり前です。
現実は「時間の流れ」という、常に変化するたくさんの見え方から印象が構成されますが、写真は「その一時点」の1つの見え方のみで印象が構成されます。
この両者が自ずと異なるのは、先ほどの「文章全体」と「ワンフレーズ」の印象が異なるのと同じです。
写真は、四角い範囲で「空間」の中の一点を選択しましたが、同様にシャッターによって「時間」の中の一点を選択します。
写真は「視覚」のみで構成される
そして写真は「視覚」のみで構成されます。
現実の印象は、視覚だけではなく、音や匂いをひっくるめた五感で構成されるのに対し、写真は「視覚だけ」です。
たとえばこの場所も、本来であれば、川のせせらぎや風の音、森閑とした空気感や匂いがその場にあったはずです。
その「全体」から受ける印象とこの写真の印象は、また全然違うはずです。
この「視覚のみ」という限られた情報で構成されているのも、写真の大きな特徴です。
写真ならではの特徴を撮影に生かす
さて、以上見ましたように、現実と写真は結構異なります。
その違いを端的に言うと「写真は現実のごく一部」ということです。
つまり写真は、無限に広がる現実の中の一部分をピックアップし、その一部分から、また違った現実を見る人の中に広げる行為なのです。
現実以上の現実が広がるなら、その写真はよく撮れた写真だし、現実以下の現実が広がるなら、その写真はよく撮れなかった写真です。
そしてその違った現実はどこから発生するのかというと、撮影者の脳内です。
撮影者が見せたい現実、見たい現実を再現するための、写真は「トリガー」です。
その写真を見ることによって、別な現実が見る人の頭の中に広がる。
そのことが可能になるのは、写真が現実の全部ではなく「一部」だからです。
写真が現実の「全部」であれば、現実の変更は不可能です。
それが全てですから、「別な」現実を見せることはできません。
しかし、「一部」であれば、その他の部分には想像が働きます。
別な現実を広げるためのスペースが確保されているのです。
そのスペースを積極的に活用するのが、正しい写真の撮り方です。
写真は、全部を見せることができない不自由なものではなく、現実を超えた現実を見せることができる強力な武器なのです。
よく風景写真などで、「この素晴らしい景色も、写真に撮ると実にツマラなくなる」なんて言っている人もいますが、それは写真を知らない人の言葉です。
立体的に、全てを見渡せ、時間の流れの中で、五感で感じる現実が、平面の紙ペラの写真に比べて情報量が豊富なのは当たり前です。
それを全部写真に盛り込もうとするから、そんな言葉も出てくるのです。
立体も足りない、捉えられる範囲も足りない、時間も流れない、視覚しかない…。
アレもない、コレもない、と、ネガティブに捉えるのが写真ではありません。
現実を飛び出せ!
現実の桎梏から自由になる武器だ!
これが正しい写真の捉え方です。
「写真写り」をコントロールする具体的手順
ではどのようにして、そんな写真を撮っていくのか。
具体的な手順を見てみましょう。
最初に見ましたように、写真ならではの特徴は、以下の4つです。
- 立体(3次元)ではなく平面(2次元)
- 四角い「範囲」がある
- 時間が流れない
- 音やにおいのない「視覚」のみで構成されている
これを具体的な写真を撮る行為に置き換えてみると、
- 立体(3次元)ではなく平面(2次元)→立ち位置を決める(見る場所を決める)
- 四角い「範囲」がある→フレーミングを決める
- 時間が流れない→シャッタータイミングを決める
- 音やにおいのない「視覚」のみで構成されている→「視覚」に視覚以上の情報を盛り込む
となります。
立ち位置を決める
まずは立ち位置、すなわち「見る場所」を決めます。
写真は見る場所から見えたものが全てです。
そして、その見方にもコツがあります。
それはファインダーをのぞく前、まだカメラを構える前の段階から「片目で見る」ということです。
人間は、左右の目の見え方の差から、立体感を把握します。
(これはレンジファインダーカメラの距離計と同じ仕組みです)
ですから、片目で見ることによって、立体感を無くし、平面的にものを見ることができます。
より、最終的な写真の仕上がりに近い感じで見ることができます。
フレーミングを決める
次に「フレーミング」。
写真に切り取る「範囲」を指定します。
この時たとえば、余白を上に持ってくるのか、下に持ってくるのかでも、大きく印象が異なります。
それから、まわりの状況をたくさん入れるのか、まわりは切り捨てて被写体を画面いっぱいに入れるのかでも、また印象がずいぶん異なります。
その判断基準はやはり、撮影者の脳内にある、現実を超えた現実、つまり「理想」です。
現実を超えた理想を脳内に持っていないから、必然的に撮れた写真が現実を超えないツマラナイ写真になるとも言えます。
あなたが気にするべきは、実はフレーミングじゃなくて、「脳内の理想の絵」です。
フレーミングはそこに「ついてくる」ものです。
シャッタータイミングを決める
シャッタータイミングは、これは、できるならば1回だけシャッターを切るのではなく、理想を求めて何度でも切るべきです。
通りすがりの人を待ったり、さらにいい瞬間を待ったり、もちろん、さらにいいフレーミングになるように調整したり。
シャッタータイミングは追い求めるものです。
漫然とシャッターを切ってはいけません。
1回で終わってもいけません。
しつこく、何度でも、追い求めましょう。
そうやって初めて、撮れます。
思った以上の写真は、「撮れる」というより「撮れている」です。
思った以上の写真が撮れる場合って、ほとんどがこのシャッタータイミングのしわざと言ってもいいでしょう。
「立ち位置」「フレーミング」「ファインダーの確認」、これらは、こちらの意志でコントロールできます。
しかし、シャッタータイミングに関しては、向こうの都合です。
向こうの都合(被写体側の都合)で、ベストになったりベターになったり、はたまたバッドになったりワーストになったり。
こっちは食らいつくしかありません。
「夢中でシャッターを切っていたらいつの間にか撮れてた」
思った以上の写真って、意外とそのくらいの感覚です。
ですから、夢中で切りましょう。
「視覚」に視覚以上の情報を盛り込む
写真は「視覚情報」のみです。
でもいい写真は、匂いが漂ってきそうだったり、感触が手に取るようだったり、会話が聞こえてきそうだったりします。
いい写真は「五感」にも訴えてくるのです。
写真用語に「シズル感」なんて言葉がありますが、これは肉汁したたるジューシーな様子が、思わずよだれが出るほどリアルにありありと写し出されているさまです。
五感に訴える写真、とも言えるでしょう。
主に広告写真で使われる表現ですが、広告は写真のシズル感が売り上げに直結するので、いかにこのシズル感を出すかに腐心して撮られることも多いです。
そうです、写真は視覚のみと言いつつも、視覚以上を「感じさせる」ことは、実は可能です。
視覚という限定された情報であるからこそ、空想が頭の中に広がるのです。
上記のお寿司も、実際に食べてみると、それほどおいしくないかもしれません。(笑)
しかし「視覚」のみで確認するこのお寿司は、実にうまそうで、思わずよだれがこぼれます。
現実のお寿司よりも写真のお寿司のほうが「うまい!(うまそう)」と感じるのであれば、それこそ写真が現実を超えるということです。
これが写真の力であり、それを最大限発揮したのがよく出来た広告写真であり、それよって、億単位の売り上げを左右したりもします。
実際の匂いがない、触感がない、音がない、味がない、ということは、実は素晴らしいアドバンテージなのです。
「ない」部分に「現実以上」を盛り込む余地があるからです。
写真写りの実際
さてそんな「写真写り」の実際のケースはどうでしょう。
たとえばモデルさんであれば、カメラマンから撮った写真をいただくことはあるかと思いますが、同じ自分を撮った写真でも、カメラマンによって写り方や印象はぜんぜん違うと思います。
それはそのまんま、各カメラマンの脳内にある「理想」と、その達成度の違いです。
自分の思っている自分以上の写りをする場合もあれば、その逆もあります。
「写真は現実とは違う」
だからこそ写真は現実以上にも写り、現実以下にも写ります。
その浮き沈みを決定づけるのは、結局のところ撮影者の脳内にある「理想」です。
森山大道の例
世界的にも有名なスナップ写真の大家である、森山大道の言葉を引用してみましょう。
ほとんどの人は日常しか撮ってないでしょう。つまり、基本的に異界に入り込んでいない。でも、街はいたるところが異界だからさ。街をスナップするってことは、その異界を撮るっていうことなんだよ
森山大道 路上スナップのススメ(光文社新書)より
ここでいう「異界」とは、撮影者が撮りたい絵、つまり「理想」とも言い換えられます。
我々が普段認識している日常も、よく見ると非日常(異界・理想)にあふれているわけです。
そしてその異界とは、必ずしも日常における「変な部分」や「エグい部分」を指しているわけではありません。
そうではなく、日常そのままで異界なのです。
たとえばこの写真。
写っている内容自体は、日常風景そのまんまです。
どこにでもありすぎるくらいの日常風景です。
しかし、そこから「伝わってくる印象」は、異界です。
異界は、日常風景そのままに、撮影者の「脳内変換」によって、異界へと変貌を遂げるのです。
それが可能なのは、写真が現実とは違うからです。
写真が現実の完全コピーではなく、書き換える余地をもっているからです。
森山大道は、現実に見えたものをそのまま撮ったのではなく、彼の脳内において見た「異界」を撮ったのです。
現実そのままではなく、彼の脳内において書き換えられた現実です。
上記の写真も、実際この現場にいたなら、その実際の印象と、この写真の印象が大きく異なることが理解できるはずです。
そして、脳内の理想を具体的な写真に変換するためには、以下の写真の特徴を利用します。
- 立体(3次元)ではなく平面(2次元)→立ち位置を決める(見る場所を決める)
- 四角い「範囲」がある→フレーミングを決める
- 時間が流れない→シャッタータイミングを決める
- 音やにおいのない「視覚」のみで構成されている→視覚に視覚以上の情報を盛り込む
どのように変換するかは、あなた次第です。
写真は、現実から飛翔するための翼にもなりますし、劣悪なコピー機にもなります。
まとめ
さて今回は、写真写りを決定づける要素とそのコントロール方法について見てきました。
つまりまとめると、写真は現実と違うからおもしろいのです。
決して現実をリアルにコピーする必要はありません。
画素数や色再現性をいくら高めても、レンズの収差をいくら完璧に取り除いても、写真は現実とは同じになりません。
そもそも「本質的に」写真と現実は別物だからです。
その違いを知り、積極的にコントロールすることが、写真の「現実的な」撮り方です。
いい写真は「イイ感じに写ればいいな~」という根拠のない期待で撮るのではなく、「イイ感じ(理想)ってなんだよ」ということをクリアにし、何をどうコントロールすればそれを実現できるかを知り、それを着実に実行するという、身もフタもない現実的な行為によって実現します。
(そのあたりの詳細はコチラ↓)
現実は変更できませんが、写真は変更できます。
現実と写真は「違う」からこそ面白いのであり、その違いを積極的に利用することが「日常」から「異界」への入り口です。
それは「ただ撮る人」から「写真を撮る人」への入り口でもあります。