いわゆる「標準レンズ」の焦点距離は50mmと言われています。(35mm判換算)
しかし、現実的には、若干広角気味の35mmの方が使いやすく、そちらを標準レンズとしている方も多いです。
標準レンズの「50mm vs 35mm」。
これはもうアッチコッチで議論される、カメラ談義の格好のトピックですね。
今回はこの議論を整理し、結局のところ自分にマッチしているのはどっち?というところを改めて考えてみたいと思います。
初心者の方なら、最初の1本目の単焦点レンズを買う際の参考になるでしょうし、すでにお使いの方なら、あらためて自分にとっての標準レンズを見直してみるいい機会になるでしょう。
そして、50mm派の方なら35mmの、35mm派の方なら50mmの、新たな魅力を発見してみるのもまた一興でしょう。
目次
そもそも「標準レンズ」って?
まずは、そもそもの「標準レンズ」をどう定義するか?
これについては、いろいろな言われ方があります。
- 肉眼の視野に近いとする説
- 対角線長に基づくとする説
- レンズ特性による説
ウィキペディアによると、このあたりが代表的な根拠として挙げられています。
ここでは、そういった「学術的な」定義ではなく、もっと実際の使用に即して、
- 1本だけ持つならどれにするか
- レンズ構成の「真ん中」となるレンズ
この2点を根拠に考えてみたいと思います。
1本だけ持つならどれにするか
1本だけ持ち歩くならどれにするか。
つまり、それ1本であらゆる撮影をカバーできる、「最も汎用性の高いレンズ」ということです。
これは逆に言うと、レンズから「特殊性を排除する」ということでもあります。
レンズが広角になればなるほど、あるいは、望遠になればなるほど、どんどん特殊性が増します。
それらの特殊性を排除すると結果的に、望遠すぎず広角すぎない、50mmあるいは35mmあたりに収束します。
50mmなら、寄って望遠的に、引いて広角的に使える、という話は、以前しました。
そして、50mmでは実際の使用において画面が狭いと感じる場面も多いので、若干広角側に振った35mmを標準とする場合も多いわけです。
レンズ構成の「真ん中」となるレンズ
次に、レンズ構成の「真ん中」となるレンズ。
これは上記の「1本だけ持ち歩くならどれにするか」とも似ていますが、レンズラインナップを構成する際の「中間点」となるレンズです。
焦点距離が長くなればなるほど、あるいは短くなればなるほど、レンズの特徴は顕著になるわけですが、その「長い方」と「短い方」の中間となるレンズはどれか?ということです。
たとえば3本持ち歩く場合「24mm・50mm・100mm」となったら、中間は50mmです。
あるいは5本持ち歩く場合「20mm・28mm・35mm・50mm・100mm」となったら、中間は35mmです。
使いたい焦点距離のレンジ、それから、広角側に重きを置くか、望遠側に重きを置くかによっても、中間点は違ってきます。
「自分の守備範囲とする焦点距離がちょうどバランスする重心」
そんな意味での、「真ん中のレンズ」です。
これも結局は、「長い方」と「短い方」の中間となる50mmや35mmに落ち着きやすいでしょう。
そして、望遠重視なら50mm、広角重視なら35mmになるのではないでしょうか。
実際の「使用感」による標準レンズ
撮影内容や好みなどは、人それぞれです。
ですから、
- 1本だけ持つならどれにするか
- レンズ構成の「重心」となる、真ん中のレンズ
も、人それぞれです。
大事なのは、自分の使用感にマッチしたレンズであるということです。
「標準レンズ」は一律に世界共通で決めることに意味は無く、それぞれ個人個人が決めるものです。
学術的な定義、
- 肉眼の視野に近いとする説
- 対角線長に基づくとする説
- レンズ特性による説
それらは実際の撮影においては、何の意味もありません。
あなたがあなたのビジョンに基づいて被写体を追っかけているとき、学術的な定義は屁のツッパリにもならないし、他人の使い方も、そこでは無意味です。
「標準レンズ」とは、あくまであなたの使い方、あなたの好み、あなたの美意識によるもの。
つまり、あなたにとっての標準です。
まずはそこを確認して、次に進みましょう。
自分なりの標準レンズを決める意味
自分なりの標準レンズを決める意味は何でしょうか?
それは、自分の撮影に「背骨」あるいは「芯」のようなものができる、ということです。
高等動物にはすべて「芯」、つまり「脊椎」があります。
原始的なアメーバーなどには、それはありません。
物事は高度になるほど、各要素をまとめ上げる中心、「芯」の存在が大きくなります。
動物の構造もそうですが、組織の構造におけるトップの役割、家屋の構造における大黒柱の役割などもそうです。
写真撮影を高度に発展させるために、使用するレンズの中心となる「標準レンズ」を設定してみることは、有意義です。
レンズラインナップも中心を据えることによって、より高度な把握とコントロールが可能になるでしょう。
なぜ標準レンズは50mmと35mmの2択なのか?
さて、「標準レンズは何ミリだ!?」の議論になると、間違いなく、
「50mm」と「35mm」の2択
になります。
そしてその議論には必ず、「28mmが標準という人もいますし、85mmが標準という人もいます」という注釈が付きます。
しかしそれは文字通り、単なる「注釈」でしかありません。
28mmや85mmになると、かなりレンズのキャラクターがハッキリとし、もはや標準レンズと言うことには無理があります。
一般的な用途においてそれらを使う場合は、「標準」として使っているよりも、「好み」として使っていると言っていいでしょう。
一般的に言って50mmや35mmが白いご飯なら、28mmや85mmは「おかず」です。
「白いご飯」が主食としてあるけれども、「ハンバーグ」が好きで、そればっかり食べているようなもんです。
もちろん、ハンバーグが主食のハクション大魔王みたいな人もいますから、それはそれで構いません。
しかし、ハンバーグを主食と言うのに無理があるのと同じような感覚で、28mmや85mmを標準と言うのには無理があります。
そういう一般的な認識があるがゆえの、「50mmと35mmの2択」なのです。
50mmと35mmの違い
ではそんな、50mmと35mmの違いは何でしょう?
比較しながら、見ていきましょう。
画角の違い
これは真っ先に目につく違いですね。画角の違い。
つまり、写真に写る範囲の違いです。
言うまでもなく、同じ位置から撮るなら35mmのほうが広く写り、50mmのほうが狭く写ります。
このことは、画面にたくさんの要素を入れたいのか、あるいは画面から余計な要素を排除したいのか、の違いとなります。
別な言い方をするなら、「広がり」を重視するのか「奥行き」を重視するのかの違いです。
そして35mmと50mmは、同じ位置から撮れば35mmのほうが広く、50mmのほうが狭く写りますが、35mmなら前に出て、50mmなら後ろにさがることによって、同じ範囲を写すことができます。
つまり、どのレンズでも、撮影距離を調整することによって、写る範囲を同じにすることができるのです。
以前紹介したこちらのテストは、そのようにカメラマンと被写体の距離を調整して、19mmから350mmまでのレンズで人物の顔が同じ大きさになるように撮ったものです。
広角レンズなら寄って、望遠レンズなら引いて撮ることによって、画面内での被写体の大きさを揃えることができます。(描写は全然違いますが)
つまり、焦点距離の選択は「被写体との距離の選択」でもあるということです。
35mmなら、被写体に近いということですし、50mmなら被写体から遠いということです。
被写体に対して自分がどのくらいの距離を取りたいのか。
焦点距離の選択には、そういう意味もあります。
まとめると、「画角の違い」から生まれる違いは、次の3つです。
- 画面内に収まる要素の量の違い
- 「広がり」か「奥行き」かの違い
- 撮影距離の違い
描写(パース)の違い
さて、先ほどの写真、
焦点距離によって描写が全然違いますね。
50mmと35mmの次なる違いは、「描写の違い」です。
この違いを生んでいるのは、先ほど見たとおり、撮影距離の違いです。
35mmは被写体に近く、50mmは遠いわけですが、その撮影距離の違いは、そのまま描写の違いになります。
近寄れば近寄るほど遠近感が強調され、離れれば離れるほど、遠近感が希薄になります。
俗に言う「パース」と「圧縮効果」です。
ちなみに上記の記事で詳しく解説しましたが、広角レンズだからパースがつくのではないし、望遠レンズだから圧縮効果がつくのでもありません。
それは被写体とカメラマンの距離によります。
同じ大きさに写す場合、35mmは被写体に近くなり、50mmは遠くなるわけですが、その「距離の違い」が、描写の違いの原因です。
同じ距離から撮るなら、100mmだろうと24mmだろうと描写は一緒です。(レンズの収差は除く)
「ウッソ~」と思う人はぜひ撮り比べてみてください。
ズームレンズのテレ端とワイド端で同じ位置から同じものを撮影してみるとすぐにわかります。(ワイド端で撮ったものを、テレ端で撮ったものと同じ大きさになるようにトリミングして比較)
というわけで、4つ目の違いは、
- 遠近感の違いと、それが生む描写の違い
です。
ボケの違い
そして最後は、「ボケ」の違いです。
写真はレンズの焦点距離が長いほどよくボケます。
35mmと50mmを比べた場合、他の条件が一緒なら、50mmのほうがよくボケます。
ボケを積極的に取り入れたいなら、50mm。
なるべくボカさず、シャープに写したいなら、35mmということです。
5つ目の違いは、
- ボケ量の違い
です。
50mmと35mmのそれぞれの写真の特徴
さてここまで、50mmと35mmの違いを5つ挙げました。
50mm | 35mm | |
---|---|---|
画面内に収まる要素の量 | 少い | 多い |
3D | 奥行き | 広がり |
撮影距離 | 遠い | 近い |
描写 | パース小 | パース大 |
ボケ | 大 | 小 |
次にこれらが、実際の写真にどう影響するのかを見てみましょう。
画面内に収まる要素の量
- 画面にたくさんの要素を入れたい=35mm
- 画面から余計な要素を排除したい=50mm
画面内の各要素の関係性を写す、あるいは状況そのものを写す場合には、画角が広い35mmがマッチします。
そして、被写体そのものを写したい場合には、画角が狭い50mmがマッチします。
これは、
- 全体を見渡す客観的な視点で撮る場合は35mm
- 主題に着目する主観的な視点で撮る場合は50mm
と言えます。
別な角度から言うと、
- 35mm=スナップ向き
- 50mm=ポートレート向き
とも言えるでしょう。
広がり重視か奥行き重視か
- 広がり重視=35mm
- 奥行き重視=50mm
広がり↓
奥行き↓
この点は1番目の要素の「客観的視点」と「主観的視点」にも呼応しますし、5番目の要素の「ボケ」とも関係してきます。
35mmは広がりがあるがゆえに、状況を客観的に見る視点になりやすく、50mmは画角が狭いがゆえに「見つめる視点」つまり対象に入り込む視点=主観的な視点になりやすいわけです。
また、客観的な視点は、状況を克明に把握する視点、つまり、ボカさずに隅々までピントが来ている画面に呼応し、主観的な視点は前後をボカして、「それだけを見つめる」視点に呼応します。
- 35mm=画角が広い=全体を見る客観的視点=ボケの少ない隅々まで克明な画面
- 50mm=画角が狭い=それだけを見る主観的視点=ボケが大きく主題が浮かび上がる画面
各要素はお互い連携しているわけです。
撮影距離
- 被写体から近い距離を取りたい(取らざるを得ない)=35mm
- 被写体から遠い距離を取りたい(取らざるを得ない)=50mm
被写体と撮影者の距離。
これは、撮影者の個性を反映する部分でもあります。
どうにも被写体に近寄りたい人もいれば、どうにも離れた位置から撮りたい人もいます。
被写体と撮影者の距離には、そんな撮影者の心理的要因も影響します。
ゲイリー・ウィノグランドは比較的寄ることを好んだ写真家です。
ソール・ライターは比較的離れることを好んだ写真家です。
まあ心理的要因だけが焦点距離選択の基準ではありませんが、「距離感」と「撮影者の心理的要因」には、やはり関係があります。
あなたも、親しい間柄の被写体を撮るときと、赤の他人をスナップするときでは、自ずと距離感も変わってくるはずです。
被写体に対して、どうにも「とってしまう」距離。
これに合わせてレンズを選択するというのも、ひとつのやり方です。
そして被写体との距離は、障害物などによってそもそも被写体に近づくことが不可能な場合もありますし、壁などによって被写体から離れることが不可能な場合もあります。
これは心理的な要因との対比で言うと「物理的な要因」です。
しかし、一般的には近づくことが不可能な場合よりも、離れることが不可能な場合のほうが多いものです。
狭い車内や屋内などでは、寄ることはできても、引くことはできません。
また、引いたがために、間に障害物が入るということもあります。
つまり、物理的に撮れる可能性が高いのは、被写体との距離が近いほうであり、そういう意味で35mmが選ばれることが多いわけです。
なお、撮影距離に関しては、昔は50mmが標準であったのが、最近は35mmユーザーが増えている理由として「世界が狭くなっているから」と、言われることもあります。
昔は、街も家も人の間隔も、今みたいにギュウギュウではなく、もっとスペースもありゆったりとしていました。
でも現代の特に都会は狭くなり、結果的に撮影距離が短くなる35mmが選ばれる、というものです。
標準レンズの選択にはそういった時代背景からの視点もあり、なかなか壮大な話です。(笑)
描写
- 遠近感が強調される=35mm
- 自然な描写=50mm
35mmか50mmかの選択は、描写の選択でもあります。
ここでは、「被写体そのものの描写」と、「背景が入る場合の描写」に分けて見てみましょう。
被写体そのものの描写
焦点距離が短い35mmのほうが、パースがつきやすく、長い50mmのほうがつきにくい。
結果的に35mmのほうが遠近感が強調された写真になり、50mmのほうは自然な描写になります。
上の写真でも、下段左から2番目の50mmと、左から3番目の35mmは、結構違った描写になっています。
被写体に近づく35mmのほうは遠近感が強調されるので、耳など遠い部分は小さく、鼻など近い部分は大きく描写されます。
結果的に、歪んだように見えます。
ポートレートで中望遠レンズが多用されるのは、この「歪み」を嫌ってのため、というのが大きな理由のひとつです。
背景が入る場合の描写
背景が入る場合はどうでしょうか。
35mmにおいて背景は、ボケにくさもあり、わりとハッキリ写ります。
そして、パースがつくというのが、35mmの特徴です。
つまり35mmでは、「パースを利用して、比較的ハッキリ写る背景を生かす」というのが、特徴に沿った使い方です。
背景と被写体との「対比」あるいは「関係性」を生かすような絵作りになります。
それに対して50mmは、遠近感が自然であり、なおかつボケやすいので、背景は文字通り「背景」として成立しやすいです。
こちらではむしろ、「被写体をどう引き立てるか」という背景の選択が重要になります。
被写体は被写体、背景は背景として扱うのが、50mm的な使い方です。
この、背景が入る場合の絵作りについては、1番目の要素、
- 画面にたくさんの要素を入れたい=35mm
- 画面から余計な要素を排除したい=50mm
とも関係してきますし、次の5番目の要素の「ボケ」も関係します。
やはり各要素は緊密に連携しています。
そして、これらの標準的な絵作りをふまえたならば、こんどは35mmで絞りを開けてボカしたり、50mmで絞ってシャープに写したりと、また違った感じの絵作りを楽しむこともできます。
ボケ
- ボケにくい=35mm
- ボケやすい=50mm
これは、先ほどの4番目の要素とも関係してきますし、2番目の要素の「広がり」か「奥行き」かとも関係します。
ボケについては、主題をハッキリさせるためにボカしたり、各要素を均等に扱うために全面シャープに写したりという、「機能的」な扱いは、まずもちろんあります。
それに加えて、ボケは結局「好みの問題」という部分も大きいでしょう。
特に日本人はボケ好きとして知られていて、ボカした写真を撮りたいがために、一眼レフを購入される方もいます。
ボケが好きだからボカしたい、という単純な理由も、大いにアリです。
ボケが好きなら50mm、シャープに写したいなら35mmという選択になるでしょう。
最終的に、50mmと35mmどっち!?
それでは上記をまとめましょう。
50mmの特徴 | 35mmの特徴 |
---|---|
余計な要素を排除 | いろんな要素を包含 |
主観的 | 客観的 |
ポートレート向き | スナップ向き |
世界を奥行きで捉える | 世界を広がりで捉える |
対象から遠いポジション | 対象に近いポジション |
自然な描写 | ダイナミックな描写 |
ボケ大 | ボケ小 |
つまり、
50mmっぽい写真=撮る対象がハッキリとしていて、ボケの効いた奥行きのある画面の中に、自然な描写と共に浮かび上がる。
35mmっぽい写真=広い画面内にいろんな要素を包含し、それらの関係性を克明な描写でダイナミックに描き出す。
以上の特徴をふまえ、50mmと35mmの違いを端的に要約すると、
- 50mm=ロマンティック
- 35mm=リアリスティック
と、なりますね。(笑)
実際、50mmと35mmの印象をごくザックリとまとめると、
- 50mm=好きな画角
- 35mm=使いやすい画角
と、なるのではないでしょうか。
好きな絵が撮れるのは50mmだけど、現実的に使いやすいのは35mmということです。
私個人的にも、まさにその通りですし、使い込むほどにそういう意見に落ち着く方も多いようです。
上記の記事は、まさにそれを地で行く実地レポートです。
その流れは、
- 50mmが「標準レンズ」と聞いたので、まずは50mmを購入。
- 50mmだと画面が狭くて撮りにくいと感じ、35mmを購入。
- 35mmすごく撮りやすい!と35mmで撮り込む。
- 35mmは撮りやすいがゆえに、平凡な写真が多いと気付く。
- 結局自分の好きな写真は、実は50mmが多かった。
と、見本のような遍歴です。(笑)
つまり、
ロマンを求めるなら「50mm」!
現実的に行くなら「35mm」!
コレでキマリです。(笑)
まとめ
今回の記事のきっかけは、私自身、ずっと50mmが標準でしたが、最近35mmがなかなかいいなと思うようになったことです。
もともと35mmは中途半端な画角という印象で、あんまり使う気になれない画角でしたが、最近は35mm1本で撮ることも多くなりました。
35mmは平凡です。
でも、その平凡が面白いのです。
何でもない風景を何でもないままに、何でもない画角で何でもなく切り取る。
その「なんでもない」の中に、実は妙味が潜みます。
35mmは平凡な写真になりやすい。
上記のブログの方も言っておられました。
しかし「平凡=ダメ」ではありません。
平凡の見本のような写真でも、「写真界の芥川賞」とも称される木村伊兵衛写真賞を取ったりもするのです。
上記の書評でも「退屈さの充実した時間」なんてうまいこと言っていますが、「退屈」でも「充実」はあり得るのです。
「平凡」の中に「素敵」はあり得るのです。
「平凡」は何かいけないこと、写真はすべて面白くて、すごくて、キレイじゃないといけない。
写真をやっていると、何かそんな目に見えないプレッシャーを感じるかもしれません。
しかしそれは文字通り、目に見えないものです。
写真にとって大事なのは、そういう目に見えないものではなく、「目に見えるもの」です。
実際に写真に写るのは「目に見えないもの」じゃなくて、今あなたが目の前に見ているソレです。
目に見えないものに気を取られるよりも、今、現に目の前にあるソレをよく見るほうが、よっぽど有意義です。
平凡であってもあなたが「それがいい」と思ったら、それは「いい」のです。間違いなく。
目に見えないプレッシャーに左右されるのをやめた時、平凡の中にも非凡を発見するでしょう。
結局「撮ろうとする内容」と「画角」は、密接に結びついています。
私が最近35mmが面白いと感じるのは、35mm自体が面白いのではなく、面白いと感じる撮影内容を撮るのにマッチしたのが、35mmだったということです。
平凡を撮りたいと思った時に、平凡な35mmが自然と選ばれたということです。
レンズ選択は結局「何を撮りたいか」です。
ポートレートを撮りたいから中望遠を選び、風景を撮りたいからワイドを選ぶ。
そう考えると「標準レンズ」とは、あなたにとってのスタンダードな撮影において、自然と選ばれるレンズと言えます。
結局標準レンズは「50mmか35mmかどっちだ!?」ではなく、
「君は何を撮りたいのだ!?」
という、実に平凡な結論に行き着きました。(笑)