写真の構図で押さえるべきたった1つのポイント

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写真の構図

イマドキのカメラは賢いので、露出やピントはオートで撮っても、そんなに問題はありませんね。

しかし、カメラのフレーム内にどう要素を構成するかという「構図」だけは、撮る人がちゃんと考えなくてはいけません。

カメラが自動で最適な構図を調整してくれるなんてのは、まだまだ先の話でしょう。

というか、構図までカメラ任せになったら、撮影者がやることがなくなっちゃいます。(笑)

写真の三大要素は

  • 露出
  • ピント
  • 構図

なんて言われますから、「構図」は写真撮影において、実に重要なパートです。

そこをうまくこなすコツは、構図を単純にパターンに当てはめるような「作業」にするのではなく、「創造性を発揮」することです。

今回は「作業」ではない、本来の構図について見ていきましょう。

photo:ajari

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目次

構図における「パターン」とは

写真の「構図」といってまず思いつくのは、数ある「パターン」ですね。

  • 三分割構図
  • 四分割構図
  • 放射構図
  • 対角構図
  • 三角構図
  • 日の丸構図

等々…。

これらのパターンが具体的にどういうものであるかはググっていただくとして、基本的に写真の構図といえば、これらのパターンに当てはめることと、ほぼ同義です。

写真の構図=パターンに当てはめること

これが、一般的な認識です。

「写真の構図=パターン」の理由

ではなぜ、「写真の構図=パターン」ということになっているのでしょうか。

構図というものは、言ってみれば「画面構成」です。

例えば人物を撮るとして、その人物を、画面の真ん中に入れるのか、はたまた右に入れるのか左に入れるのか。

あるいは風景を撮るとして、水平線を画面の真ん中に入れるのか、はたまた上に入れるのか下に入れるのか、あるいは斜めに入れるのか。

構図とはざっくり言うとそんなことです。

ところが実際写真なんて、いちいちそんなこと考えなくても写真になります。

写真はただシャッターを押せば写るわけですから、どう撮ったって写真になります。

どう撮ったって写真になりますが、人物が右の場合と左の場合では、その印象が異なります。

下手したら、コンテストで入選するのか落選するのかの分かれ目にすらなります。

そして、構図におけるパターンとは、とりあえずイイ感じに見えるだろうという最大公約数をまとめたものです。

その根拠は、主には「画面内が整っていると気持ちいい」あるいは「秩序があると落ち着く」というような人間の生理的な反応です。

人間が基本的な性質として持っている、正確なリズムや秩序に心地よさを覚えるという部分を利用しているのです。

音楽だって、ランダムなビートより、一定のビートのほうが心地よいと感じますし、人の顔も、均整の取れた顔のほうが好ましく感じます。

構図におけるパターンとは、その「イイ感じに見える」をまとめたエッセンスです。

言ってみれば数学の公式みたいなものですから、撮影者の個性は問われないし、撮影内容も問われません。

誰がどんな場面でやっても同じ効果を発揮します。

  • 誰がやっても
  • ラクに、カンタンに
  • 所定の効果を発揮する

という、とても便利なものです。

構図におけるパターンの問題点

これはこれでもちろん、何の問題もありません。

パターンは誰にでも簡単に所定の結果をもたらしてくれる、とても便利なものです。

問題があるとしたら、パターンに当てはめると、写真において構図が「作業」になってしまう、ということです。

楽しみのための写真撮影が、仕事みたいな「作業」になってしまう、ということです。

そしてもうひとつ。

写真においても基礎は大事ですから、それらのパターンを「知っている」ことは大事です。

しかし、それらのパターンに「縛られてしまう」と、とたんに写真は不自由になります。

自由に撮るのではなく、パターンに当てはめることが目的になってしまうと、それはもはや「撮っている」ではなく「撮らされている」です。

パターンの弊害はこの2点

  • 楽しみの作業化
  • 写真の不自由化

ということになるでしょう。

もちろん初心者の段階で、単純にパターンに当てはめてみるとイイ感じになって面白い!という楽しみ方はあるでしょうが、それも最初だけです。

面白さが去ってもまだやっているなら、それはつまり「作業」です。

これらの問題をどのように解消し先へ進むのか。

次にそれを見ていきましょう。

本来の構図とは

写真は自由に伸び伸びと撮らないと面白くありませんね。

パターンのように最初から「決めて」しまうと、自由はどんどん遠ざかります。

しかし、パターンのような決め事は、自由の代わりに「安心感」をもたらしてくれます。

決まったことを決められたとおりにやるのは、実に安心です。

これは、仕事におけるサラリーマンフリーランスの対比にもよく似ています。

  • サラリーマン=決まった時間に決まった仕事をやって、決められたとおりの額をいただく
  • フリーランス=自由な時間に自由に仕事をやって、自由に額が増減する

構図にパターンを適用するのが、決まったことを決められたとおりにやって所定の結果を出す「サラリーマン的撮り方」であり、自由に撮って自由な結果を出すのが、「フリーランス的撮り方」です。

この、「自由」と「安心感」は、トレードオフの関係になっていて、自由度が増すと安心感が減り、安心感が増えると、自由度が減るという仕組みになっています。

基本まじめな日本人はサラリーマン的撮り方が多いですが、なにも平日サラリーマンをやって、自由な休日にもまたサラリーマンをやる必要はありません。

かといって安定を求める性質は、そう簡単に変えられそうもありません。

ではどうするのか?

それは、自由でありながら安心感もあればいいわけですね。(笑)

具体的には、

パターンは知っている、でもそれに縛られない

ということです。

1.とりあえずパターンは知っておく

まず、パターンは全く知らないより、知っておいたほうがいいでしょう。

もちろん、細かく覚える必要はありません。

筆者も知っているのは「三分割構図」と「日の丸構図」くらいです。

むしろ、構図のパターンを覚えるというよりも、いろんな写真を見て、頭の中にその画面構成のストックを蓄えておく、というやり方がいいでしょう。

「ああ、こういう撮り方もあるんだな」と。

いろんな画面構成の蓄積が、実際に写真を撮るときのヒラメキの元となります。

2.構図のことは忘れる

そして覚えた構図や画面構成は、撮影の時にいちいち思い出さないのがコツです。

撮影の時に最も意識を向けるべきポイントは、「インスピレーション」であり「表現」です。

その写真が表すもの

そこが最大限意識を集中すべきポイントです。

構図や露出にいちいち気を取られていたら、最も大事なものに振り向けるべきリソースを失います。

この時のために、普段から蓄積しておくわけです。

蓄積があれば、撮影の時にいちいち思い出さなくても、自然と反応できます。

そして、「その写真が表すもの」に意識を集中すると、自然とそれにふさわしい構図が形作られます。

それは、よそから持ってきたパターンではなく、蓄積の中から自然と呼び覚まされる構図です。

写真の何が楽しいって、やっぱりいい絵が撮れたときです。

「これだ!」っていう写真を自分の手でゲットしたときの感覚は、何物にも代えがたいものがあります。

それは、パターンに当てはめるような「撮らされた絵」では、得られない感覚です。

写真における「本来の構図」

まとめると、

  1. 普段から構図・画面構成の蓄積をしておく
  2. 撮るときはそれらを忘れて表現に集中する

ということです。

人間は二つのものに同時に集中できません。

撮影時に「表現」に集中していたら、必然的にパターンのことは忘れます。

逆に「パターン」のことに集中していたら、必然的に表現は忘れます。

我々が撮りたいのは、「いい写真」であって、「いい構図」ではありません。

最も肝心なものは何か?

それを知り、そこに集中することが、いい写真の秘訣です。

ですから、いい写真が撮りたいなら「いい構図」は忘れたほうが得策です。

いい写真にふさわしい「いい構図」は、忘れることによって逆に、無理なく自然な形で付与されます。

そのためのリソースとなるのが、普段の蓄積です。

普段からいろんな写真を見て、いろんな撮り方、いろんな構図を蓄積しておくといいでしょう。

また、写真はどういう撮り方もできるという自由の保障の中から、素晴らしい発想や着眼点も生まれます。

いろんな写真を見ることによって「こんなに自由に撮っていいんだ!」という発見もあります。

たくさんの写真を見ることは、構図のストックという「安心感」を得ると同時に、「自由」を得ることでもあるのです。

まとめ

そもそもパターンというのは、「最大公約数」です。

そこに当てはめておけばとりあえず間違いない、というものです。

それは言ってみれば、「学校の作文で高得点を取るような写真」であり、客観的に見て完成度の高い写真、破綻のない写真です。

それに対して表現主体の写真は、「文学的な写真」です。

文法を無視しても、ありえない言葉づかいでも、そこに「表現」があればいいのです。

表現しきったかどうか、それがちゃんと伝わっているかどうか、そこが重要です。

そして、構成を意識しない表現主体の写真であっても、そこには何かしらの構成・秩序が、きっと存在します。

表現が秩序を要請するのです。

表現とは結局、要素を一つのビジョンによって秩序づける行為です。

そして表現によって要請された秩序は、パターンのような与えられたものではなく、自然に発生するものです。

そんな「自然な構図」こそが本来の構図です。

たとえそれが三分割になったり日の丸になったりして、パターンと同じに見えたとしても、自然に発生したという意味では、やはり本来的な構図です。

その構図が自然に発生する時にものを言うのが、普段の蓄積です。

写真は構図を意識したとたんに、その写真が「表現」ではなく「構図見本」になります。

そんな構図をうまくこなす最大のコツは、

構図を忘れること

です。(笑)

【関連記事】構図をパターンで撮るのをやめたら写真が楽しくなった話

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