写真における悩みのひとつに、「カメラ選び」があるのではないでしょうか。
世の中には星の数ほどのカメラが出回っており、その機能や性能も一長一短です。
なおかつネットや口コミでは、アレがいい、コレがいいと、情報も洪水のようにあふれています。
右も左もわからない初心者だと、特に混乱も激しいのではないでしょうか。
しかし思い出してください。
我々がやりたいのは「写真」であって「カメラ選び」ではありません。
カメラ店の店員になるのであれば、カメラ選びを極めるのもまあ悪くないでしょう。
しかし我々が極めたいのは「写真」であって、カメラ選びではありません。
ですからカメラ選びは、もっともツボとなる1点を押さえて、簡単にサッサと済ませてしまうのも得策です。
アレコレ悩んで夜も眠れない、仕事も手につかないという「カメラ選び沼」にハマってしまったみなさんは、まずは今回の記事でスッポリと抜け出しましょう。
目次
写真とカメラの関係
さて。
みなさん「カメラ」にはこだわりますよね。
キヤノンが一番、いやいやニコンだ。
一眼だ、いやいやミラーレスだ。
画質がどうの、レンズがどうの…。
でも、それと同じ程度「見る」にこだわっている人はいますか。
光が、色が、バランスが。
上から、いやいや下からだろ。
前ボケ?いやいや後ボケが…。
「見る」ということに関して、カメラや機材と同程度にこだわりをもっている人が、どれくらいいますでしょうか。
ちなみにものを見るのに、カメラや機材は必要ありません。
目ん玉があれば見れます。
「見る」と「カメラ」は全く切り離して考えることができます。
そして写真というものは、カメラを構えてシャッターを切る前に、まず「見る」わけですが、写真は実際「見る」の時点で9割終わっています。
カメラで撮る行為は、その「終わったもの」を刈り取るだけです。
カメラが絵柄を考えるわけではありません。
あなたがすで脳内で撮り終わった写真を、カメラは刈り取るだけです。
そのことを知るために、以下の実験をしてみましょう。
- カメラの電源を入れて、床の上に置きます。
- しばらく眺めてみます。
ひとりでに歩き出して、「あ、いい絵柄発見!」とかいって勝手にシャッターを切りましたか?
切らないですよね。
それはつまり、カメラは勝手に写真を撮らない、ということを意味しています。
写真を撮るのはあなたです。
カメラは、あなたが撮ったその写真を記録するだけです。レコーダーです。
つまりカメラは、撮り手が指示をしないと、なんにもしません。
そして、撮り手の指示は何をもとに行われるのかというと、撮り手がすでに、心の中で撮った写真をもとにです。
撮り手が決めた場面、構図、被写体、アングル、露出、ピント、タイミング、などを、カメラはただ言われた通りに記録するだけです。
「写真」ってのはつまり、そういう仕組みです。
写真の本質からみた「あるべきカメラ」とは
では、そのような仕組みである写真において、カメラに求められる機能はなんでしょうか?
それは、脳内で撮った写真が、画像として定着できること。
平たく言えば「写真が撮れる」ということです。
カメラは、写真が撮れさえすれば、まずは万々歳です。
本質から言って、カメラは写真が撮れさえすれば、その役割を9割果たしたと言えます。
カメラの形式、画素数、色調、AEのモード、AFの方式、その他の便利かつ複雑な機能…。
それらの「撮る」以外の要素の割合は、カメラというものが本来果たすべき機能からみたら1割程度です。
我々が日々こだわって、ネットや雑誌で喧々諤々の議論を戦わせる、最新機能やこまかい性能の数々。
新機種が出たぞ!新機能搭載だぞ!すごいぞ!わぁわぁ!
「写真」において、もっとも盛り上がるそれらの話題は「写真全体」から見ると実は、
- 「写真」の1割を占めるのが「カメラ」
- その「カメラ」の1割を占めるのが「各種機能」
=1/10の1/10。
つまり、写真全体の 1/100 です。
マジか。
おどろいた。
写真において「もっとも盛り上がる話題」とも言える「カメラの機能・性能」は、写真全体から見たら1/100。
あなたが日々夢でうなされ、仕事も上の空になるその「機能・性能の比較検討=カメラ選び」という悩みは、実は写真全体においては1/100です。
あらためて。
悩むほどのことですか?
カメラ選びにおける最大のポイント
カメラ選びは、タコでもイカでもなく「カメラ」を選んだ時点で、もうほとんど 大成功 なのです。
あとの細かいことは「誤差」にすぎません。
つまりカメラは、好きなカメラ、使いたいカメラで全然問題ない、ということです。
カメラ選びにおける最重要ポイント。
それは「写真が撮れるかどうか」です。
笑えるくらい簡単です。(笑)
チョットチョット、あなたが買おうとしているカメラ、それは「写真が撮れるカメラ」ですか?
そこだけはよく注意してくださいね。(笑)
その他の、ネットや雑誌が言っている、細かい機能や細かい性能は考慮してもいいし、しなくてもいいです。
なにしろ写真に与える影響は1/100です。お好きにどうぞ。
そんな小さな部分が大きな意味を持つのは、プロとか特殊な撮影をする人くらいです。
我々一般庶民がフツーに趣味の撮影で使う時にどーしても必要になる機能なんて、ほとんど 無いと言っていいでしょう。
「写真の傑作」と「カメラの機能」の関係
写真のマスターピースは、撮られた年代に関係なく存在します。
50年代、60年代、70年代、80年代、90年代…。
どんな時代にも傑作は存在します。
でもカメラは、昔ほど低機能で新しいほど高機能です。
新しいカメラ、新しい機能が絶対有利なら、新しいカメラが出るたびに、過去の名作はどんどん駆逐されていくはずです。
でも現実がそうじゃないのはつまり、「傑作」と「カメラの機能」は、ほぼ無関係ということを意味しています。
「カメラの機能」が「写真」に与える影響は1/100とは、つまりそういうことです。
写真はその誕生以来、技術面を除いてはなにも変わっていない。そして私には技術的なことは重要ではない。
と、写真界のゴッドファーザー、アンリ・カルティエ=ブレッソンも言っています。
それはつまり、「カメラの機能」といった技術的なことは、彼が大事にしているものとは無関係である、と言っているわけです。
「写真」と「カメラの機能」と「見ること」の関係
いま一度、「写真」と「カメラの機能」と「見ること」の関係を。
「写真」において、「カメラの機能」を検討することは、写真における1/100の要素を検討することです。
そして、たとえば「被写体が美しく見える角度」を検討することは、写真における9/10の要素を検討することです。
「1%」と「90%」
あらためてこれが、「カメラの機能」と「見ること」の差です。
まとめ
えー、今回は若干ネタ的な要素もありますね。
まあリアルにはそんな単純な話でもないでしょう。
でも言いたいことはわかっていただけたかと思います。(笑)
我々はえてして、本質じゃない部分に目を奪われがちです。
それはなぜかというと、本質は目につきにくく、枝葉は目につきやすいからです。
根っこは土に隠れていて見えませんが、色鮮やかな葉っぱや花は、よく目につきます。
目に見え、数値化できるガジェットはネタになりやすく、目に見えない写真の本質はネタにはなりません。
まあガジェットネタにぶるんぶるん振り回されるのも、それはそれで面白いことです。
でも、忘れがちな本質に立ち返ると、いとも簡単に必要なことがスッと見えてくることがあります。
カメラは写真が撮れればいい。
それはカメラなるものの「本質」といっていいでしょう。
よく考えてみたら、カメラにとって外してはいけない本質はそこだけです。
あとは枝葉末節です。
そこさえ押さえておけば、むしろカメラは、使うことが苦にならないカメラ、相性のいいカメラ、好きなカメラ、楽しいカメラでいいのです。
使いもしない機能のためにガマンして、使いにくいカメラ、相性の悪いカメラ、好きになれないカメラ、楽しくないカメラを使う必要はありません。
そもそも思い出しておきたいことは、写真はカメラがなくてもできる、ということです。
見て、考えて、脳内でシャッターを切るまでは、カメラがなくてもできます。
それで満足なら、写真はカメラすらいりません。
カメラは最終的な「記録」の部分を担っているだけです。
将棋の高段者は、将棋盤がなくても「脳内」で将棋が指せますが、同じくカメラがなくても写真はできるわけです。
逆にカメラだけあっても、写真は撮れません。
カメラだけでは写真が撮れないことは、文中の実験でも明らかですね。
写真を撮るのは「人」であって、「カメラ」ではありません。
将棋盤だけあってもプレイヤーがいなければ将棋にならないのと同じです。
写真を撮るのはカメラではなく、あなたです。
つまり、カメラはあなたの延長です。
ですからカメラは、あなたが楽に使えるカメラであれば、それでいいのです。
おっと忘れないでください。
そのカメラ、ちゃんと写真は撮れますか?(笑)