アンリ・カルティエ=ブレッソンといえば「決定的瞬間」があまりにも有名ですね。
「サン=ラザール駅裏」の有名な写真と共に語られるそれは、20世紀の写真界を代表するフレーズの一つです。
しかし、ブレッソンの写真の醍醐味は、決定的瞬間と言われるような「時間的な要素」よりもむしろ、「空間的要素」です。
今回は、20世紀を代表するの写真家の一人「アンリ・カルティエ=ブレッソン」と、その写真のおもしろさについてご紹介します。
目次
アンリ・カルティエ=ブレッソンってどんな人
おそらく写真や写真家に興味を持つ人なら、一度は耳にしたことがあるはずです。それくらい有名な写真家です。
彼は、1908年、フランスに生まれました。1908年と言えば、日本では明治41です。けっこう昔ですね~。
そして亡くなったのは2004年。かなり長生きされたようです。
彼は若い頃は画家を目指していました。その後写真家として活躍し、晩年はまた、写真は撮らずにデッサンに没頭しました。
この、絵画に対するなじみの深さは、彼独自のスタイルに一役買っていると思われます。
また、「マグナム・フォト」と呼ばれる、世界でもっとも有名な写真家集団の創始者のひとりとしても知られています。
グラフ誌の時代
ブレッソンが活躍した時代は、世の中は「グラフ誌」と呼ばれる、写真を多用した報道雑誌が花ざかりの時期でした。(「LIFE」などが有名ですね )
彼は世界各地を駆け回り、インドで暗殺前後のマハトマ・ガンジーや、インドネシアの独立前後など、歴史的な場面をいくつも写真に残してきました。
彼は自分自身でも言っているように、くくりとしては「報道写真家」と呼ばれるタイプの写真家です。
しかし、彼の写真のおもしろさは、そういう報道的な意味での「何が写っているか」よりも、「どう撮ったか」にあります。
アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真の特徴
ブレッソンの写真の特徴は、その「構図」にあります。
彼自身「幾何学的」と称するように、その写真は見事なまでに幾何学的で、秩序とリズムによって、心地の良い画面が構成されています。
まるでそのように「並べた」かのような、見事な配置です。
このように見事な配置を、日常の生活空間の中から「カメラポジション」と「シャッタータイミング」だけで切り取ったところが、ブレッソンの面目躍如たるところです。
そして、決定的瞬間の代名詞とも言える「サン=ラザール駅裏」もよく見ると、「男性の足が水たまりに接地しそうな」という単純な瞬間的要素のおもしろさだけでなく、「構図」のおもしろさも浮かび上がってきます。
まず、奥の壁のポスターのポーズが、手前の人物のポーズと相似形をなしています。
そして、それぞれが水面に写り、さらに相似形をなしています。相似につぐ相似です。
また、遠景の棒のような並びと中景の柵、それから手前のはしごがタテのラインを刻んで呼応し合っています。
それから、手前の輪っかの切れ端みたいなものと水の波紋。屋根の三角と歩幅の三角。奥の時計塔から中景の人物→手前の人物と一直線に導くラインなど、見れば見るほどおもしろい写真です。
それはただの「ジャンプの一瞬を捉えた写真」ではなく、細かい配慮が実を結んだ、「計算された画面」なのです。
写真史上の意義
そんなブレッソンの写真は、それまでには無かった、写真ならではの新しい表現です。
彼が写真史上に残した足跡とはどのようなものでしょうか。
ブレッソンとライカ
ブレッソンが写真を撮り始めるころ、写真史上の革命となる画期的なカメラが世に出ます。
それが「ライカ」です。
参考:ライカM-D(Type 262)が究極のデジカメである理由
参考:ライカM-Aによって、ついにレンジファインダーカメラはゴールに到達した
それまで写真機といえば、今で言う大判カメラのような、かぶり布をかぶってルーペでピントを見るような大がかりなカメラが主流でした。
しかしライカは、手のひらに収まるような小型のカメラです。
これによって撮影術にもまた、革命がもたらされました。
それが、「スナップショット」と呼ばれる、日常のシーンを素早く、簡便に撮る撮影スタイルです。
スナップショットと写真ならではの表現
当時の写真界は、絵画の延長のような、どちらかと言えば「お芸術」的なものが主流でした。
いわゆる「ピクトリアリズム」とよばれる、絵画的な写真を目指す動きです。
写真はまだ芸術として認知されておらず、「写真を芸術の域に高めよう!」というわけです。日本では資生堂の初代社長である福原信三などが有名ですね。
しかし、スナップショットの手法によって、それとはまったく別種の写真が発生しました。
それは絵画のようにうっとりと鑑賞するようなものではなく、ありのままのリアリティという表現です。
被写体にも撮られていることを意識させないくらいの小型カメラは、写真にしかできない新しい表現を切り拓いたのです。
そしてブレッソンの写真は、ありのままのリアリティでありつつ、すべての配置を完璧に整える、というスタイルです。
それは、ピクトリアリズムが「絵画の模倣」という方向で芸術性を確立しようとしたのとは対照的に、「写真だからこそ」のオリジナルな表現と言えます。
これを、最初に完璧な形で体現した功労者がアンリ・カルティエ=ブレッソンです。
それが、彼が20世紀を代表する写真家と言われるゆえんです。
ブレッソンの撮り方
それではブレッソンの写真は、どのようにして撮られているのでしょうか?
「撮り方」と「写真の内容」は、もちろん密接な関係があります。
周囲と一体化する
ブレッソンの写真は、「ライカ」というカメラと切っても切れない関係です。
「ライカがなかったら自分は写真をやってない」というようなことを本人も言っています。
そして、目立たない小型カメラを手のひらに収め、まるでいつ撮ってるかわからないように、状況に溶け込みながら撮るのです。
人は誰でも、カメラを向けられるとそっちを意識してしまいます。不自然にならざるを得ません。
気配を消すことで、自然な瞬間を狙ったのです。
この、「リアリティ」こそ、他の芸術にはない、写真ならではの要素のひとつです。
ムダを完全に削ぎ落とす
そしてレンズは、ほぼ50mmオンリー。絞りもシャッタースピードも、ピント位置もほぼ固定。
これはすなわち、彼がなにを最も大切にしているかを物語っています。
それは「構図」と「シャッターチャンス」です。
機材や露出・ピントを固定することによって、「どうしようか」という迷いをなくすことができます。
それによって、目の前の被写体に100%集中することができるのです。
もはや彼がすべきことは、レンズの選択でも、露出の調整でもなく、「どの位置から」「どのタイミングで」、この2点だけです。
重要でない要素を限りなく削ぎ落すことによって、本当に重要な要素のみに集中したのです。
それによって、「完璧な構図」と「完璧なタイミング」を達成したのです。
「決定的瞬間」の意味
さて、彼の生み出した「決定的瞬間」という言葉ですが、それは彼の写真集の英語版のタイトル「The Decisive Moment」のことです。
その写真集のフランス語の原題は「Image a la sauvette」(逃げ去るイメージ)です。
全く違う意味のように見えるこの2語ですが、実は2つとも彼の写真の特徴を端的に表しています。
2つのタイトルが意味するもの
彼が追い求めていたのは、現実の、時間と空間の中に突如あらわれる、「完璧なシーン」。
ある場所ある視点の、ある時間の1点。全てがパーフェクトに整う1点。
それは「決定的瞬間」でもあり、次の瞬間にはもう去ってしまっている「逃げ去るイメージ」でもあります。
そんな捉え難いシーンを彼は追い求め、1/125のシャッターで次々と切り取っていったのです。
しかし、彼の写真の本来の醍醐味は、時間的な要素よりもむしろ、完璧な配置が織りなす「空間的な要素」であるはずです。
ではなぜ時間的なタイトルが使われたのでしょう?
あえて「時間的要素」をタイトルに使う意味
ブレッソンは、その美しい空間的要素を、「きみはここ、あなたはそっち」と作為的に配置したのではなく、現実のありのままの流れの中で切り取りました。(その意味で対象的なのが日本の植田正治)
だからこそ、時間的要素が重要な意味を持つのです。
作為的に配置したのであれば、時間的要素は関係ありません。好きな時にシャッターを切ればいいのです。
しかし、「現実」の流れの中では、その美をつかまえることができるのは「ほんの一瞬」です。
息を殺して、目を凝らして、全神経を集中させて、ようやくつかまえることができるかできないか。
ブレッソンにとってはまさに「逃げ去るイメージ」です。
「その一瞬をつかまえた写真集がこれだ」という意味で、時間的要素に力点が置かれる理由が、そこにはあるのです。
まとめ
今回は写真界のゴッドファーザー、アンリ・カルティエ=ブレッソンをご紹介しました。
名前だけは知っていた、と言う人は、この機会にぜひ、彼の作品にも触れてみてください。
彼の作品は小型カメラを使ったスナップです。
言ってみれば、私たちが普段撮っているような写真ばかりです。
そんなわけで、スマホで撮るような身近な撮影でも、大変参考になる写真家です。
写真界のビッグネームというだけで敬遠してしまうのは、もったいないことです。
彼のこだわった「構図」というものは、要はものを見る「目」の問題です。特別なテクニックも特別な機材も必要ありません。
逆にブレッソンは、余分なものは極限まで切り詰めました。
美しい写真のために必要なのは、機材でもテクニックでもなく、見る目と集中力、それからタイミングを待つ忍耐力だと言っているのです。
それは、お金がなくても知識がなくても、心がけ次第で誰にでもできることです。
もっとも偉大でもっとも身近な写真家、それがアンリ・カルティエ=ブレッソンという写真家です。