ライカM-D(Type 262)が究極のデジカメである理由

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ライカM-D(Type262)

ライカカメラAG(本社:ドイツ ウェッツラー)から、背面液晶のないデジカメ、ライカ M-D(Type 262)が発表されました。

背面液晶がないどころか、付属する機能は、カメラとしての必要最低限の機能のみです。
すなわち、絞り、シャッタースピード、ISO感度の設定だけです。

いかに多機能であるかを競う現在のデジカメ業界にあって、かなり異端なポジションです。
そしてその価格が、これまたびっくり87万4,800円(税込)です。

今回はそんな、あらゆる面で破格なカメラ、ライカM-Dについて読み解いてみましょう。

そこから見えてくるのは、「写真を撮る」ことに対して、カメラがどうあるべきかという、ひとつの究極の回答です。

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ライカというカメラメーカー

まずは、このカメラを作った、「ライカ」というメーカーについて理解しておきましょう。

最初の35mm判(ライカ判)カメラを作ったメーカー

ライカは、現在の小型カメラのスタンダードとなる、35mmフィルムを使用するカメラを初めて開発したメーカーです。

当時は「エルンスト・ライツ社」と言いましたが、そこの技師であった、オスカー・バルナックという人が、映画用の35mmフィルムを利用して、手のひらに収まるような小型カメラを作り上げました。

ウルライカ

最初のプロトタイプができたのが、1914年なので、100年以上前の話です。

それまでカメラと言えば、大きな木枠に蛇腹とレンズを取り付けたような、かなり大がかりな物が主流でした。

写真館でおじさんが後ろから布をかぶって操作するようなカメラ、と言えばわかりやすいでしょうか。

大判カメラ

しかしこのライカの登場によって、カメラと写真に革命がもたらされました。

すなわち、スナップショットと呼ばれるような、あらゆる場所で、素早く、簡便に撮る撮影手法が可能となったのです。

現在我々が、「カメラ」「撮影」と言って思い浮かぶ、その形と行為を生み出したのがライカだと言えるのです。

つまりライカは、我々が知っているカメラの「元祖」だと言えるのです。

小型カメラの完成形「ライカM3」

さて、そんなライカが1954年に「ライカM3」を発表します。

このカメラは、それまで測距用とフレーミング用に分かれていたファインダーを一つにまとめたりして、小型カメラの完成度を飛躍的に高めました。

今でもライカM3が、現時点で最高のカメラだと言っている人もいるくらいです。

また、あまりの完成度の高さに、日本のカメラメーカーは、ライカと同じ形式であるレンジファインダーの開発をあきらめ、一眼レフの開発に方向転換したとさえ言われています。(結果的に日本のカメラ産業は隆盛を極めた。)

そして、このカメラは、発売から60年以上経た現在でも、現役で使用している人が多数います。また、中古市場でも価格が下がることはほとんどありません。

ここにライカというカメラメーカーのスタンスが見てとれます。

ライカのスタンス

デジカメであれば、買ってから10年もすれば、その価値は大幅に下がります。

技術は常に「新しい」=「良い」であり、古いカメラよりも新しいカメラのほうが価値が高いのです。

しかし、ライカというカメラメーカーのスタンスは、「永続性」あるいは「本質」なのです。

流行に左右されないもの、撮影の本質を常に問い続けるメーカーなのです。

だからこそ、60年以上前のカメラが、今でも現役であり続けているのです。

ライカ使いでも有名な写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソンも言っています。

写真について技術的な側面での変化はあったが本質的なものには変わりがない。技術的の進化は私にとってあまり重要ではない。

技術的な進化は問題ではない、写真にとっての本質はいつの時代でも変わりはない、と、こうおっしゃっているわけです。

ライカの哲学ともピタリと一致します。

なぜそのようなスタンスでやっていけるのか

しかし、世の中の大多数は、写真の本質どうこうよりも、より簡単に、より便利に、よりキレイに撮れればそれでいいわけです。

そんなわけで、日本のメーカーを中心とした、より簡単、便利なカメラが、セールス的には圧倒的に優勢です。

M3発表後、日本のカメラメーカーによる一眼レフを中心とした「簡単・便利・キレイ」なカメラは、世界を席巻し、いまでは世界の8割は日本製カメラです。

逆にライカが、そのようなセールス重視のスタンスでやっても、日本のメーカーには、かなわないわけです。

M3という、最高と謳われるカメラを生み出したメーカーが、安くてカンタンなカメラを出しても、今まで築き上げた評価を捨てることになり、なおかつセールス的にも日本のメーカーにかなわないという、最悪の結果になるのは火を見るよりも明らかです。

ライカは孤高のカメラメーカーとしてやっていくしかないのです。それがライカというカメラメーカーに与えられた宿命です。

そして、最初の35mmカメラを開発したという圧倒的な看板力と、他のどこにもない独自のスタンスは、数は少ないけれど、熱狂的な支持を確実に得ます。

実際、「ライカは宗教だ」と言われているほどです。

よってライカは、どんなに値段が高くても売れるし、高価格であるがゆえにまた、人を惹きつけるのです。

ライカM-D

さてようやく今回のテーマ、ライカM-Dです。

ライカというカメラメーカーについて理解したみなさんが、このカメラについて理解するのも簡単でしょう。

すなわちこのカメラはズバリ、「デジタル時代における写真撮影の本質を追求したカメラ」なのです。

本質を追求するライカが、デジタル時代におけるM3のようなカメラを、ようやく出してきたわけです。

「軸」と「揺れ」

ライカはM8からデジカメへとシフトし、M9、Mとリリースしてきたわけですが、これらのカメラは、背面液晶はもちろん、ライブビューあり動画撮影ありで、まあいってみれば、普通のデジカメだったわけです。

もちろんこれらも、必要な経緯です。

背面液晶をはじめとする、「デジカメらしいデジカメ」という流れがあったからこそ、ライカM-Dへと続く道があるわけです。

かつて、露出計をカメラに搭載するという流れになったときも、M5という、あまり評判のよろしくないカメラをリリースしたこともありました。

しかし、揺れながらも「本質」という軸はしっかりとキープし続けるのがライカというメーカーです。

その後リリースしたM6は、本来のライカらしさを取り戻し、最大のセールスをもたらしました。

そして、デジタル時代に突入し、「M8~M」という揺れを経験し、再び「軸」にビシッと戻ったカメラ、それが「ライカM-D」なのです。

ライカM-Dの意味

そもそも、写真の本質とは何でしょうか?

「本質」とは、それ無しではそもそもそれ自体が成立しないような、核となるものごとです。

写真撮影においてそれは、「目の前の情景を四角く切り取る」です。それ以上でも以下でもありません。

その本質に対して、カメラはどうあるべきか。

ライカの回答は、「それ(目の前の情景を四角く切り取ること)に、最大限集中できるカメラ」です。

そのため、カメラ操作を最小限にしたわけです。

特にライカのようなスナップショットがメインとなるようなカメラの場合は、ちょっと液晶画面に目を落としているうちに、重要なシャッターチャンスを逃す可能性もあります。

参考:【一眼レフユーザーの皆さんへ】知ったら使ってみたくなる!?レンジファインダーの真の魅力

露出や色味のちょっとしたことを気にしているうちに、もっと大きくてもっと本質的なものを逃してしまうのです。

そうならないために、ライカM-Dでは、液晶画面を外しました。

そして液晶画面だけでなく、目の前のシーンへの集中力をを阻害する要素をことごとく取っ払ったのです。

便利さとは「ああなったときに困るから、これを付けよう」とか「こういう状況ではこれがあると便利だろう」という、「足していく思考」です。

そしてそれは、煩雑さを呼び寄せ、本来の「どう四角く切り取るか」という、撮影対象への集中力が薄れる原因を作ります。

ファインダーひとつとっても、その中にさまざまな情報が表示され、便利であると同時に目障りでもあります。

そういった撮影への集中力を阻害する要素を全て取り除くと、必然的に、必要最低限の機能のみになります。

そうして作られたカメラが、ライカM-Dです。

ライカM-Dで実際に写真は撮れるのか?

さて、理屈はわかりました。

撮影対象への集中力。それは確かにシャッターを切るごとに液晶画面を確認して「あーでもないこーでもない」と言っているよりは確実に保てるでしょう。

しかし、自動露出もなく、オートフォーカスもないカメラでは、かえって撮影に手間取るのでは?

最もな疑問です。

自動化に慣れきった人にとって、全てマニュアルで撮影するのはかなり困難を感じるはずです。

しかし、ライカM-Dは万人のためのカメラではないのです。

そもそも写真撮影は、ピアノやゴルフのような芸事です。

練習してうまくなるタイプの芸事なのです。

ピアノが勝手に曲を演奏しても、クラブが勝手にボールを打っても、なんにも面白くないように、写真もカメラ任せで撮ってもなんにも面白くないのです。

普通の人は、写真撮影それ自体に面白さを感じているわけではなく、ただ単に「画像を残したい」という理由で写真を撮っています。

だから、難しいことはすっ飛ばして、簡単にキレイなが画像が手に入ればそれでOKなわけです。

そういう人たちのために作られたカメラが、今巷にあふれているほとんどのカメラです。

しかし、ライカM-Dは違います。

ライカM-Dは「写真撮影そのもの」のためのカメラです。

写真を撮ること、それ自体をやりたい人のためのカメラです。

ピアノ弾きにとってのピアノ、ゴルファーにとってのクラブと同じです。

そこで道具として目指されているのは、「いい音を出すこと」「遠くまで飛ばすこと」「コントロールしやすいこと」といったごく本質的な部分です。

ライカの場合は、目の前の被写体に最大限集中すること、カメラと手と目が一体化すること、そして、カメラ操作を忘れてしまうこと、です。

そういうわけで、ピアニストにとってのベーゼンドルファー、ゴルファーにとってのキャロウェイというような意味で、フォトグラファーにとってのライカなのです。

まとめ

ライカM-Dはごく一般的な目でみると、かなりブッ飛んだカメラです。

機能が何もない?それなのに80万!?

ライカは、ごく一般的に流布しているカメラの常識で見てはいけないカメラです。

写真撮影は、技術革新のおけげで、誰にでも撮れる、ごくあたりまえの行為になりました。素晴らしいことです。

しかし、「写真を撮る」という芸事、そしてそのための道具という世界があるのも、また事実です。

ライカのCEOは、「1枚撮ってはモニターで確認し、また撮ってはモニターを確認…」という所作がスマートではないと言います。

撮影時の所作にスマートさを求めるところが、このカメラの全てを物語っています。

そうです、ライカは「美学」です。

そしてカメラがシンプルであるということも、美しさにつながります。美しいものはすべてシンプルです。

美しいカメラ、美しい撮り方、そして美しい写真。

すべては美しさのために、です。

その美学を体現した現時点での究極のカメラが、ライカM-Dです。

もちろんキヤノンやニコンのようには売れないでしょう。

しかし、便利至上主義に対する強烈なカウンターとして、このようなカメラが存在してくれること自体、歓迎すべきことです。

ライカは、便利なことより、美しさを選択する人のためのカメラです。