さて、なんとなくシリーズ化してきた「写真ライティング講座」。
今回は第3回目として、レフ板の使い方をやりましょう。
過去2回はこちらをご参照ください。
第1回:【クリップオンストロボの使い方】光を「足す」と「補う」の違いとは!?
使ってます?レフ板。
おそらく皆さんが使う状況で多いのは、ポートレート撮影でモデルにレフ板を当てる、というような状況ではないでしょうか。
休日の公園などでは、レフ板を使ってモデル撮影している方もよく見かけますね。
そして、ライティング機材であるレフ板にもやはり、「当て方」というものがあります。
多いのは、太陽(光源)の反対側、あるいは顔の真下に置く使い方かと思いますが、その当て方は、過去2回のライティング講座をご覧になった方ならば、「ちょっと違うな」というのが理解できるかと思います。
「モデルに風があたらないように当ててるんです」とか、「飲み物を置くテーブル代わりに」といった使い方なら別ですが、「ライティング」のために当てているのであれば、もっと適した当て方があります。
実際レフ板は、暑いときにはうちわになり、敷物が無いときはレジャーシートにもなる便利な代物ですが、「光を反射させる」という本来の目的で使うならば、やはりライティングそのものを理解しておく必要があります。
というわけで今回は、ライティングの基本に則った「正しいレフ板の使い方」いってみましょう。
photo: Brocken Inaglory
目次
ライティングとは「システム」
まず、写真における「ライティング」って何かというと、それは「システム」です。
現在我々が耳にするほぼ全ての音楽が「調性」というシステム上に成り立っているのと同じように、また、ほぼ全ての文章が「文法」というシステム上に成り立っているのと同じように、写真におけるライティングとは、光の当て方に関する、一種の「文法」です。
ですから、やたらめったらに光を当てることは、単語をやたらめったらに並べて文章を構成しようとするのと同じことです。
やたらめったらに単語を並べても、「何が言いたいのかわからないよ」となるように、やたらめったらに光を当てても、「何が言いたいのかわからないよ」となります。
写真と「ライティング」の関係
しかし写真において、何が言いたいのかわからないライティングでも普通に存在し得るのには、それなりの理由があります。
たとえば「音楽」の場合、その音楽の調(キー)を外れた不協和音は、生理的に気持ち悪いです。
カラオケでは一瞬音を外しただけでも「うっ」てなりますね。
ジャイアンのリサイタルがあんなに不評なのも、音を外すことの不快感がそれだけ嫌悪されているからですね。
また、コミュニケーションが目的の「文章」においては、文法を無視すると、そもそも内容が伝わりません。
「内容を伝えること」が目的なのに「内容が伝わらない」なんて意味がないので、やはり文章においても文法は重要視されます。
しかし、写真においては、ライティングがヘンでも、だいたいの人はそんなに気持ち悪くなりません。
また、コミュニケーションの道具として写真が使われる場合は、たいていその「写っている内容」が重要であって、それに対する光の当たり方なんて、ほとんどの人は気にしません。
そうです。写真においては、ライティングがヘンでも 何も問題がないのです。
なおかつ写真においてライティングは、写真を構成する要素の「ごく一部」です。
たいていの人にとっての関心事は、モデルが美人かどうかとか、レンズの解像度がどうとか、もっと別なことです。
よしんばライティングに関心があったとしても、そこで重要視されるのは、「論理的な整合性」よりも、「インパクト」であったり、「恣意性」であったりします。
そうです、一般的に写真においてライティングのシステムというものは、刺身のツマと同じくらい、無用の長物なのです。どどーん。
じゃあなんでそんなものをわざわざ記事にするのかと問われれば、それはこのブログが「写真のネタ帳」だからです。
「ディープな写真ネタをわかりやすく解説」と、このブログのヘッダーにも書いてありますね。
誰も言っていないようなディープなネタを、わかりやすく解説するのがこのブログのテーマなので、書きます。
さて、前置きが長くなりましたが「誰も言っていないレフ板の使い方」、そろそろ本題に入ります。
一般的なレフ板の使い方が「アウト」な理由
まず、具体的な使い方に移る前に、ごく「普通の」使い方だと思われる、
- 光源の反対側に置く
- 被写体の真下に置く
この2つが、なぜ「アウト」なのかを説明しておきましょう。
レフ板を光源の反対側に置く場合
レフ板を光源の真反対に置く理由は、それが最も光をたくさん反射するからでしょう。
つまり、最もたくさん光を被写体に当てることができるからですね。もっともな理由です。
しかし、いま現に被写体に当たっているその光源がメインライトだとすると、その真反対からレフ板を当てるということは、メインライトとは別なメイン光源を発生させている、ということについてはお気づきですか?
ライティングの基本は「太陽はひとつ」であり、あくまで光源は1つです。
しかし、真反対にレフを置くことによって、メインライトの方向性とは真反対の方向性を持つ光源を発生させることになります。
すなわちダブルライトです。太陽がいっぱいです。
街中か公園か廃校か、どこかは分かりませんが、そのシチュエーションにおいて唐突にその方向からやってくる光について、なんと説明しますか?
もちろん、表現上の理由があるなら大いに結構ですが、ただ単に「光量が多いから」では、何の理由にもなっていません。
レフ板を被写体の真下に置く場合
これも光源の反対側に置く場合と意味はほとんど一緒ですね。
光は基本的に上からくるので、真下に置けばたくさんの光をはね返すというわけですね。
しかし、なんでそっちから光が来てんの?という話です。
下からのライトは別名「おばけライト」とも言われるように、上からの日常感に対して、かなり非日常な状況です。
「反射光」については、たまたま壁がそこにあったとか、水面が真下にあった等、「実際の環境」がそうであったなら、それは自然なライティングと言えるでしょう。
しかし、わざわざ手を加えてそうするって、その光はいったい何!?
「太陽はひとつ」とする基本のライティングシステムにおいては、そのライティングに対して「説明は不要」です。
なぜなら太陽がひとつの環境は、この地球上においてこれ以上はない、もっとも自然なライティング環境だからです。いちいち説明する必要はありません。
しかし、そこに手を加えてあえてそれを崩すならば、そこには理由が必要です。
理由がないなら、それはつまり「なくてもいい」ってことなので、「意味のない」ライティングになります。
ライティングを知ることから始めよう
しかし、現実問題、そんな論理的な整合性よりも、単純に「いかに明るいか」のほうが大事なんじゃないの?
実際そういう使い方してる人のほうが多いし、それで別に問題ないんじゃないの?
…まあ基本的にその通りなのは、最初に見たとおりですね。
しかし、だからこそです。
「当たり前だと思われている」からこそ、あえてツッコミを入れて、「そこんとこどうなのよ!?」と問うてみることに、面白さと意義があります。
最初にも言いましたが、このブログの基本的スタンスもそこです。
というわけで先を続けますね。
先ほども見たように、写真においてライティングがめちゃくちゃでも、音楽や文章ほどには問題になりません。
問題になるとしたら、それは写真の「受け手」よりも、「作り手」のほうです。
作り手の「アティチュード」(態度)のほうです。
ただ単に明るければ何でもいいという使い方は、言ってみれば「無節操」なライティングです。
「下品」なライティングと言ってもいいでしょう。
それは、本人が意図してそうしているわけではなく、逆に「無意図」、つまり「意図がないから」こそ、そうしているわけです。
意図があれば、別に無節操でも下品でも構いません。その場合それらはただ単に「表現」のひとつですから。
現に、ロケ先でリポーターにレフ板を当てるような場合は、品がどうこうではなく、ひたすら明るいことが優先されたりします。
美しい表現とかではなく、「ハッキリ映す」ことが目的だからです。意図がはっきりとあって、それに沿ったライティングです。
しかし、「リアルに」無節操で下品なライティングは、どう意図していいかわからないからこそ、あるいは意図に対して無頓着だからこそ、なせる業です。
そんな場合はまず、どう意図すべきかを知る必要があります。つまり、基本的なライディングを知るということです。
それを知った上で、無節操なライティングか節度のあるライティングかを改めて選択する必要があります。
ルールを知った上で、それを守るのか壊すのかを選択するのです。
初めはみんな、そんな選択肢は無い状況です。「知らない」のだから当たり前です。
しかし、様々な選択肢を知っていくなかで、その中で自分なりの判断をしていくことが、自分らしい写真につながり、「写真が面白い」と感じることにつながります。
このブログが、あまり人が言わないような情報を、あまり人が言わないような言い方で書くのも、選択肢の多様性を提供するためです。(単に筆者の趣味という噂もありますが)
「真理はあなたたちを自由にする」と、聖書にも書いてありますが、「そうだと思う」や「そんな気がする」と、「そうだと知っている」では雲泥の差です。
よくわからずに、単純に「光が多そうだから」という理由だけで、レフをメインの反対側にもってくるようなのは、「そうだと思う」のレベルです。
「レフってそういうもんだと思う」です。
しかし、ライティングの仕組みを理解し、光の状況が全てが見えると、その中でレフが演じるべき役割が「見えてきます」。
それがレフをどのように扱うべきかを「知っている」というレベルです。
そしてその「ライティングの仕組み」なんてものも、小学生でも理解できるようなカンタンなことです。医者や弁護士になれと言っているわけではありません。
単純に「気にしたことがなかった」とか「考えたことなかった」から知らないだけで、知ってしまえば別に何でもないことです。
逆に言うと、どんなに簡単なことでも、「知らない」とか「無頓着」であるならば、自分がいかに不自由かは永遠に知らないままです。
というわけで、知らない人はまず「知りましょう」。
話はそれからです。
ライティングにおけるレフ板の位置づけ
さて具体的な話に入る前に、前回「ライティングの基本講座」をやりましたが、今回のお話は、こちらを読んでいないと理解できない部分があるかもしれません。
まだの人はぜひ、ご一読ください。
で、前回ライティングの基本は「太陽はひとつ」であり、どんなに光源を追加したとしても、その結果はあくまで「1灯」に見えるのが望ましい、ということを書きました。
あくまでメインは1灯で、その他のライトはその「フォロー光源」であると。
レフ板についても、全く同じことです。
レフ板も、光を反射してその光を被写体に当てる以上、その扱いは「1コの光源」です。
レフ板で光を当てることは、ライトで光を当てることと同じことです。
その使い方はそのまんま、ライティングの基本が当てはまります。
レフ板の正しい使い方
それでは具体的なレフ板の使い方に移りましょう。
今回は、おそらく皆さんが実際に使うことが多い、「ロケーション」における使い方を想定しています。
最初に、レフ板ならではの特徴から見ていきましょう。
レフ板の特徴と使う際のコツ
レフ板もひとつの「光源」である以上、基本的にその扱い方は光を扱う場合と同じです。
そして、自ら発光するわけではなく、「反射」させて使うことから、設置する「角度」や、レフ板の「大きさ」が重要になってきます。
光量と光質
まず、光量は距離の2乗に反比例するという、「逆2乗の法則」は、レフ板にもそのままあてはまります。
参考:【クリップオンストロボの使い方】光を「足す」と「補う」の違いとは!?
レフ板を設置する「位置」の「近い・遠い」によって、光量を調整することができます。
それから、レフ板にはたいてい「銀」「白」といった何種類かの反射面が用意されています。
この反射面の選択によっても、光量を調節することができますね。
「銀」のほうが反射率が高く、たくさん光を反射し、「白」のほうが少ないです。
また、反射面の選択によって同時に、光の「硬い・柔らかい」という「光質」も調整できます。
「銀」のほうが光の直進性が高く「硬い」光、「白」のほうが光の拡散性が高く「柔らかい」光ですね。
レフ板の角度
次に、レフ板はそれ自体が発光するわけではなく、光源を反射して被写体に当てるので、光源・レフ板・被写体がなす角度が重要になります。
光源の位置、被写体の位置、入れるべきレフの位置はほとんど決まっているので、あとできることは「角度の調整」だけです。
3者の位置関係によっては、思ったほどの光が当たらなかったりします。
そこが「自ら発光しない」レフ板の難しさではあります。
一応、物理の法則には「入射角=反射角」ということがありますので、「どの光源を拾うのか」という目標を見定めたら、その「拾う光源」と「被写体」のちょうど中間に反射面を向けると、すなわち「入射角=反射角」となり、もっともよく光が当たるという理屈はあります。
でも結局は、あれこれ動かしてみて最もよく当たるところで固定する、ということですね。
レフ板の大きさ
レフ板の大きさは、すなわちそのまま「発光面の大きさ」です。
大きいほど広い範囲に光を当てることが出来ますし、小さいと小さい範囲です。
例えばモデルの全身を撮る場合に、正面からのフロントライトとして活用するなら、小さいレフ板だと全身に光が回りません。
被写体と撮影意図に見合ったレフ板を用意する必要がありますが、あまりにデカいと、かさばってしょうがないですね。
また、スポット的に当てたい時には、デカいと当たり過ぎてしまうこともあります。
携行性と用途のバランスは、結構悩ましい問題でもあります。
まずは中くらいのレフから入って、必要に応じて追加、変更していくのがいいかもしれません。
レフ板の基本的な使い方
ではレフ板の基本的な使い方です。
まず、写真のライティングにおいて、ライトの役割には3種類ありました。
- メインライト
- フィルインライト
- アクセントライト
です。
レフ板も1コの「ライト」である以上、上記どれかを選択する必要があります。
今使おうとしているレフ板は、上記どれなのかを、まず決めましょう。
それを決めたら、それにふさわしい位置にレフ板をもっていきます。
そして、その位置から「角度」の調整によって被写体に光を当て、「距離」と「反射面の選択(銀とか白とか)」によって光量やら光質を調整します。
これが基本的なレフ板の使い方になりますね。
実際の撮影風景を見てみましょう。
上記はムービーの撮影風景になりますが、基本的な考え方はスチールも一緒です。
まず、メインライト(太陽)は、人物の影を見てもらえればわかる通り、画面向かって右から左です。
そして、メインライトと同じ方向からアクセントとして、レフ板が1枚、しっかり持ち上げられて「上から」入っていますね。(一番右の人物)
決して「下から」ではありません。
そして、カメラ方向から大きなレフ板が1枚、これはフロントライトとして入っています。(右から二番目の人物)
これもしっかり「前から」です。
そしてこちらはしっかり全身をカバーする大きさです。
これがつまり、セオリー通りのレフ板の使い方です。
「役割」によって位置と大きさが的確に選択されています。
そしてそんな、セオリー通りに組み立てられたライティングにおいて、レフ板は「メインの反対側」にも「被写体の真下」にも存在しません。
ライティングには全て「理由」がある
さらに細かく見てみましょう。
まず、フロントライトがカメラの右側、つまりメインライト側に寄っていますね。
その理由は、ここが砂丘みたいな場所で十分シャドー側にも光が回っているので、そんなにシャドー側に当てる必要がない、ということがまず1点。
そして、キーライトでハイライトを追加している分、ハイライトと中間調の輝度差が大きくなるので、その輝度間の「つながりを良くする」(グラデーションをなめらかにする)ために、メイン側に振られている、というのがもう1点です。
さらに深読みをすると、被写体が若いお嬢さんであり、ヘアも衣装もナチュラルなスタイリングで、シチュエーションもシンプルですね。
そこからは「ナチュラルな素材感を引き出す」というテーマが見て取れます。
ですからライティングもレフのみでシンプルに、そしてなめらかなグラデーションによって、素材そのものの良さをより引き立たせている、というわけです。
ついでに、カメラ位置から見るとメインライト(太陽)が若干逆光気味に入っています。
これも被写体を印象的に描くという逆光の効果を利用すると同時に、日中晴天下の強い直射日光よりも、レフ板による柔らかい光のほうが肌の描写に適しているので、そっち方面から撮っている、ということですね。
「表現のための手段」としてライティングを組む、というのはつまりこういうことです。
役割ごとのレフ板の使い方
では、ライティングの「役割」ごとのレフ板の使い方を見ていきましょう。
ライトと同じく、レフ板もその役割を3種類の中から選択する必要がありましたね。
- メインライト
- フィルインライト
- アクセントライト
個別に詳しく見ていきます。
レフ板を「メインライト」として使う場合
基本的にレフ板の光をメインライトとしては使わないですね。
なにしろそれ自体発光しないので、レフ板はあくまで補助的なツールです。
使うとしたら、他に目立った「方向性」を感じさせる光がない時に、その場の状況に方向性を与えるライト、という使い方が考えられますが、すでに自然な環境光が形成されているロケーションにおいて、メイン光としてレフ板を投入するのは、まあ特殊なケースですね。
そもそもロケーションで撮影するということは、その場の環境を生かすためにそこで撮っているわけですから、最も目立つメイン光を人工的に投入するとなると、もはやその環境を作り替えるということなので、むしろライトを使ってちゃんと作り替えないと、中途半端になります。
ただし、レフ板の光がメインライトとして素晴らしい表現をなすならば、あるいはもはや「メイン」とか「サブ」とか関係なしに、「これしかない」という表現があるならば、もちろんルールは破っていいわけです。
今回は基本ライティングなので、「筋を通す」ことに重点をおいて解説していますが、もちろん最終的に大事なのは「表現」です。
そういうふうに「思い」が「理屈」を超える瞬間は、ライティングにおいてもいくらでもあるでしょう。
ルールを破る前に、ルールを知ることが必要
しかし、まず基本を押さえておくことは大事です。
ピカソの絵はデッサン的には理屈を超えていますが、その絵が数億なのは、やっぱり「ルール」を知っているからです。
初期の写実的な絵からもわかるように、彼は普通にデッサンを描かせても誰よりもうまいです。
その前提の上にあのスタイルは成り立っています。
それはルールを知らない子どもの落書きとは、やはり違います。
ルールを踏まえることは、強固な説得力として、表現を裏から支えてくれます。
「ルールを知る」ということは、「ルールを守る」にしても、「ルールを壊す」にしても、どっちにしても必要なことです。
レフ板を「フィルインライト」として使う場合
次はレフ板を「フィルインライト」として使う場合です。
これはレフ板の最もオーソドックスな使い方ですね。
いわゆるシャドーを「起こす」という使い方です。(「起こす」は暗い部分を明るくする、というような意味です)
そしてその使い方もやはり、ライティングの基本に準じます。
基本的に反射面は、より柔らかい「白」を使い、当てる位置は「カメラ方向から」です。
フィルインライトにはもうひとつ、「スカイライト」がありましたが、だいたいのシチュエーションにおいてスカイライトはすでに地明かりとして存在するはずなので、あえて追加する必要はありません。
そして、メインライトのコントラストを調整する目的なら、「フロントライト」でした。
そんなわけで、レフ板を「フィルインライト」として使う場合は、「カメラ方向から」「白レフで」というのが基本になります。
レフ板を「フロントライト」として使う場合
さて、レフ板を「フロントライト」として使う場合、「カメラ方向から」が基本ではありますが、実際のシチュエーションにおいては、カメラ方向からだと、被写体のディープシャドーにまで光が回りきらない、ということがよくあります。
たとえばモデルの顔に当てる場合、頬のてっぺんにはよく当たるが、耳の横あたりまで奥に来ると、あんまりシャドーが起きてない、ということです。
そういう場合は、レフ板の位置をシャドー側に回してくることによって、解決を図ります。
しかし、それが行き過ぎてしまって、顔の真横あたりまで来てしまうと、メインとは逆の方向性が目立ってきてしまいます。
あくまでメインライトの方向性をぶち壊しにしない、しかしシャドーはしっかり起こす、そんなベストポジションを探るのが、レフ板使いのキモですね。
レフ板を「アクセントライト」として使う場合
レフ板をアクセントライトとして入れる場合は、基本ライティング講座でやった通り、メインライトと同じ方向から入れるということと、若干逆光目に入れるとより効果的ということです。
そしてメインライトはたいてい上から来ているので、その場合当然、上から当てる必要があります。
先ほどの撮影風景の写真のように、「持ち上げて当てる」ということですね。
そうです、基本ライティングにおいて、レフを下から当てるということは、「まず無い」と思っていただいて間違いないでしょう。
なぜなら、1コの太陽を基本とするライティングシステムにおいて、下から光が来ることは無いからです。
下から当てるということは非常に特殊な状況なので、使う場合はよく考慮して使う必要があります。(おばけライトですから)
しかし実際には下からガンガンに当てた写真が多く出回っていて、我々もそれに見慣れているので、あんまり違和感を感じないかもしれません。
しかし、「自然・不自然」で言うとやっぱり不自然な感じがするのは、よくよく見ると理解できます。
そういう写真は、むしろその不自然さによって「インパクト」を出すことを目的としているわけです。
下から当てるのはもちろんアリですが、知っておいてほしいのは、それは「当たり前」のライティングではなく「特殊な表現」だということです。
当たり前のように、何の考えもなしに無造作に下に置いていたのなら、それがもたらす効果をよーく見てみてください。
それは本当にあなたが求めていた表現ですか?
まとめ
さて、レフ板ひとつでこんなにも長くなってしまいました。
レフ板といってもそれだけ奥が深いということですね。(ムダ話が多いという噂もありますが…)
まとめると結局、レフ板を使う場合もその使い方は、普通にライトを使う場合と同じ、ということです。
ライトとの違いは、光量の調節ができない(しづらい)、そして、思ったとおりの場所に思った通りの形で当てるのが難しい、ということです。
しかしその分、レフ板は「発光しない」ので、電源も必要ないし、重くもありません。また、値段もそんなに高くありませんので、全く「手軽に」使うことができます。
この手軽さが、レフ板の最大の魅力ですね。
実際、ライティング機材って、ほとんどライト(光源をかたち作るもの)とレフと黒レフ(光を抑える・カットするもの)で成り立っています。
「レフ板」は立派な「ライティング機材」であり、それによって光線状況に手を加えるということは、立派な「ライティング」です。
そして「レフ板」は手軽なライティング機材なので、ここからライティングをコントロールする世界に入るのはオススメです。
コントロールできなかったことを、どんどんコントロール下におさめていくのが、すなわち写真の上達です。
光のコントロールの第一歩として、ぜひ、レフ板を使いこなしていきましょう。