雪肌精ポスターの新垣結衣の目に、カメラマンとスタッフが映り込んでいる件が話題になりましたね。
発端はこちらのツイートです。
駅貼りの雪肌精の特大ポスター。ガッキーきれいだな〜と思って近づいてみたら、ガッキーの瞳に映り込むカメラマンと扇風機持ったスタッフ!! pic.twitter.com/Czt3HqWkCc
江本典隆 (@emotonoritaka) 2016年7月13日
あっというまに拡散されて、大きな話題になりました。
しかしモデルの目に、目の前の景色が映り込むのは当たり前のことであり、当然今までもいくらでもあったことなので、「なにゆえ今ごろ!?」感もあります。
そして、そのことについて、当の雪肌精側も公式ツイッターで謝罪したことで、より話題が広がりました。
新しい雪肌精の広告で、新垣さんの瞳にスタッフの方が写り込んでしまってました。一生懸命やってた結果とは言え、ご不快に思われた皆様に深くお詫びもうしあげます。申し訳ありませんでした。
雪肌精 公式(JAPAN) (@kose_sekkisei) 2016年7月15日
ポスターを担当したコーセーの宣伝担当の方は、
謝罪は過剰反応、と言われていますが「ポスターサイズであるにも関わらず、修正していなかったのはミス。商業写真ですし、レタッチするのが当たり前。お叱りの声もありましたので謝罪しました」
Via:buzzfeed.com
と言っています。
しかしこれは本当にミスでしょうか?
この件からは、いろいろと深い事情が読み取れそうです。
今回はこの件を少し掘り下げてみましょう。
目次
モデルの目に撮影状況が映りこむ件について
この件については、カメラマンやデザイナーからは困惑の声もあがっています。
いわく、
モデルの瞳に写真家やレフが写り込むのは、業務上の過失でもなんでもなく、当たり前のこと。過去の広告ポスターや雑誌表紙などのモデルの瞳を拡大したら大概確認できる。これを過失として詫びたら、世界中の写真家、広告、出版関係者は大迷惑だよ。
Via Twitter:@HiroshiHootoo
まあそうでしょう。
そもそもレタッチなどの無いポジフィルムで納品の時代などは、当たり前すぎてハナシにもならなかったことです。
もちろん、デジタルの時代になった今では、目の映り込みまでレタッチする場合も当然あるでしょうし、写真のサイズがデカくなるほど、細かい部分も拡大されるわけですから、より気を使う場合も多くなります。
ちなみに以前、駅ビルの商業施設として有名なア○レのポスターでモデルの歯に食べ物のカスが挟まっているのを見かけたことがありますが、そういうのは完全に製作者のミスです。
しかし、目の中をレタッチするのかしないのかについては、ケースバイケースです。
今回の場合についてはどうなのでしょうか。
ガッキー美人説について
ちなみに、「ガッキーの瞳がきれいすぎるから」とか「ほとんどレタッチが不要なほど美しい証拠」というのはもちろん単なるファンの好意的な推測です。
レタッチはしてますし、目の反射は近所のオバサンであろうと目であるかぎりは反射します。あたりまえですが。
問題はガッキーの美しさではなく、目の映り込みをどうするんだ!?ってことです。
まずは写真そのものついて
さてこの写真。
実にいい写真ですね~。
「清らかな透明感」というコピーそのままをうまく表現しています。
そして、問題の目の映り込みでは、アシスタントが扇風機を持っている姿が確認できます。
Via Twitter:@emotonoritaka
扇風機とは!?
普通スタジオにはでっかい送風機が置いてあったりしますが、そういうのではなく、普通の家庭用の扇風機のように見えます。
送風機でもブロワーでもうちわでもなく、家庭用扇風機を、さらに手持ちで当てているところに、この写真のこだわりがうかがえます。
この「ゆるふわ」ななびき加減には、扇風機くらいの風量が最適なのでしょう。なおかつそれをアシスタントが手持ちで当て加減を微妙に調整しています。
この「新緑のさわやかなそよ風」が、手持ち扇風機によって生み出されているところが、この写真の最大の醍醐味であります。(嘘)
ライティング
さて、目の中には大きな白い面光源が見て取れます。いわゆる「フロント紗幕」と呼ばれるものでしょうか。蜷川実花さんがよくやるライティングですね。
「デカい面光源」を「フロントから当てる」ことによって、影の出ないフワっとしたライティングになります。
同じビューティーでも、硬い光によってゴージャス感を演出する場合もありますが、「雪肌精」は「雪のように透き通ったくすみのない肌」を目指すスキンケア中心のブランドなわけですから、白一面となるこのライティングが選ばれるわけです。
しかしそれだけだとメリハリが足りないので、逆目から光を当て、軽く肩や頬、腕や髪にハイライトを載せています。
背景
そして、この商品のテーマカラーと同じブルーのタイル面をモデルの背景に敷くことによって、商品とのつながりを示し、また、さわやかさも演出しています。
また、肌の赤みを、補色に近いブルーが引き立てることによって、より健康的なイメージを増長しています。
フツーにプロフェッショナルな仕事ですね。
この写真と「目の映り込み」の関係
さてそれでは、そんなプロフェッショナルなお仕事であるこの写真における、目の映り込みの扱いについてです。
まずは、単純に「見落としていた」という可能性ですが、それはありえません。
なぜなら、白目をレタッチしているのに、黒目の映り込みに気がつかないなんてありえないからです。
白目をよく見てみてください。こんなにきれいな白目がありえますか!?(本当にきれいだったらスミマセン)
ふつう白目には細かい血管も走っていますし、色も純粋に「白」ではありえません。
しかしこの写真では完全に彩度を抜いてあり、ほぼ無彩色の「白」です。まさに「雪肌精」です。
そもそもポスターサイズの、しかもビューティーの写真で目になんにも手を加えないなんて、まずありえない話です。
レタッチャーはうわの空であっても、目だけは勝手に直しているはずです。それくらい逆にスルーするのが難しい部分です。
では、見えていながら手を加えていない理由は何でしょうか?
レタッチ実験
ではここでレタッチ実験です。
まずは、この写真から目の映り込みを消してみましょう。黒目は真っ黒です。
さて、写真の印象はどのように変わるでしょうか…。
↓↓↓
完全に生気がなくなりますね。心なしかお肌も暗く沈んで見えます。
「どよん」として、「さわやかさ」や「うるおい」などの情緒的な雰囲気が一気になくなりました。
そんなわけで、レタッチするにしても、完全に消すのは無しです。
では、どの程度レタッチするのか。
次は試しに映り込みから人物の影を消してみましょう。
これは白すぎて逆にコワいですね。黒目が「白目」になってます。
…。
つまりはそういうことです。結局、デフォルトがベストなのです。
結論!
じゃあ、人の形が分からなくなるようにレタッチすればいいじゃんという話になりますが、それはそれで不自然です。
「人じゃなかったらこの二つの影は一体なに!?」となります。
結局ありのままが一番自然で、美しいのです。
当然レタッチャーは、目の映り込みを消すことも考えたでしょう。
しかし、写真全体のこの雰囲気をキープしたまま、不自然では無くいじるのは、かなり難しいことがすぐにわかります。
結局このままがベストだという結論に達するのです。
カメラマンの見識
この判断は非常に高度な判断です。
「忘れた」とか「うっかり」という次元の話ではありません。
駅貼りポスターなわけですから、近づいてよく見れば目の中の映り込みが見えることなんて重々承知です。
普通であれば何かしら手を加えてごまかそうとするわけですが、このカメラマンはそれでもなお、映り込みをそのまま残しています。
もちろん、このカメラマンにとってもごまかすことは可能でしょう。
若干不自然ではあっても、写真全体の完成度を「目に見える程度に」損なうこともないでしょう。
しかし、ごまかしはあくまでごまかしです。
リアリティには力があります。結局そのままが自然で一番美しいというのは、デジタル全盛のこの時代においても、いやむしろこの時代だからこそ力を発揮します。
なにがベストか、何が真の「美」かをよく知っているこのカメラマンが、そんなごまかしに対して「よし」としますか?
駅貼りだから近づけば見えることもわかっていますが、それでもなお、これがベストな判断であるから、そうしたのです。
そもそも今まではそんなこと指摘されたこともなかったわけですから、当たり前の話です。今回の件はカメラマンにとっても青天の霹靂でしょう。
これを「ミス」だ、とか「なんで消さないんだ」などと言うのは、釈迦に説法というものです。
コーセーの判断
発売元のコーセー化粧品だって、ミスだなどと思ってないと思いますよ。謝罪は企業運営の戦略上の判断であり、映り込み自体が悪だとは思ってないはず。
実際、謝罪したことによってより話題が広がり、なおかつ好意的な反応も多かったわけですから、その戦略は成功と言えるでしょう。
まあしかしその結果として、今後のビジュアルについては映り込みを全て消さなくてはいけませんが…。
写真における「部分」と「全体」
今回のケースは、写真における「部分」と「全体」の関係をよく表しています。
「全体」の表現における、個々の「部分」の役割。
すべての「部分」が、写真全体の一貫性に貢献していれば、その写真は「いい写真」と言えるでしょう。
今回のこの写真は、あくまで「ナチュラルで清らかな透明感」がテーマです。
すべての「部分」がそこに向かって集約されているわけです。
目も不自然にいじるよりも、そのままのほうがいいケースです。
ただ、今回は駅貼りポスターという、比較的デカいサイズの使用であったために、たまたま目の中までよく見えてしまったということです。
本来は、「全体」で鑑賞するべき写真の、「部分」がたまたまクローズアップされてしまったというわけです。
実際、今回のケースは、いつもやっていることが突然話題になり、びっくりしている、というのが実状ではないでしょうか。
今回の件によって、目の中の映り込みについては、ハッキリしない程度にボカすという処置は増えるかもしれませんね。
まとめ
「映り込み騒動」からずいぶん話が広がってしまいましたが、かように写真というものは奥が深いのです。
今後、ポスターなどで目の中の映り込みを見つけたとしても、いちいち突っ込んではいけません。
それよりも、この目の映り込みが果たす写真全体への役割はどんなものだろうかと想像してみてください。
木だけを見て森を見ないのではなく「木を見て、それから森を見る」のです。部分を見て、それからその全体への関連性を味わうのです。
あるいはもちろん、映り込みが巧妙にいじられている場合もあるでしょう。
しかしそれはそれで、意味があってやっていることです。
その「いじり」がもたらす全体への影響を想像してみるのもまた一興です。
「目の中を見て写真全体を味わう」
今回の騒動から導き出される結論は、そんな写真の新しい楽しみ方、かもしれません。