写真は、いつも1枚で見るとは限りません。複数枚を並べて見ることもよくあります。
例えば、写真展だったり、写真集だったり、アルバムやフォトブックなどもそうでしょう。
それらを並べる時、やみくもに並べるのと、しっかりした構成があって並べるのとでは、おのずから見栄えも違ってきます。
1枚ずつがいい写真であっても、並べ方がよくないと全体的にはパッとしません。
逆に1枚ずつの写真は大したことなくても、並べ方がいいとすごく見栄えがします。
のみならず、並べ方によって伝わる意味が全然違ってきたりもします。
それくらい並べ方(レイアウト)の力は大きいのです。
じゃあ一体どういうふうに並べればいいの?
というところを今回はお話していきます。
どんなに上手に写真を撮っても、最終的なレイアウトがイマイチだとせっかくの写真がもったいないので、ぜひこの記事でコツをつかんでいってください。
目次
写真レイアウトの基本的な考え方
さて、1枚で写真を見る時と、複数枚を並べて見る時の違いは何でしょうか?
それは、写真と写真の間に、前後関係が発生する、ということです。
写真のレイアウトとはつまるところ、この前後関係をどう生かすのか、という話です。
1コマ漫画かストーリー漫画か
この前後関係を無視して写真を並べる場合、それは「1枚ずつ」の鑑賞を複数回行うということと同じです。
1枚鑑賞します。はい、終わったら次を鑑賞します。はい、次…はい、次…。
前後関係に意味が無い場合、コンテストの審査員のように、やってきた応募作品をランダムに見るようなものです。
ある1枚と次の1枚の間に何の関わりも無い場合、見る順番は関係ないので、シャッフルして見ても何ら変わりはありません。
それはつまり、1コマ漫画を同時に複数コ見るようなものです。
これとは逆に、前後関係を利用するという場合は、その並びに「意味」を与えるということです。
その並びによって「ストーリー」を発生させることができ、1枚の写真では言えなかった「さらにその先の表現」も可能になるということです。
言えなかった「好き」という言葉も、写真なら言えるかもしれません。
こちらは1コマ漫画に比べるとストーリー漫画と言えます。
写真のレイアウトを「文章」に例えてみる
さらにこのことを「文章」に例えてみましょう。
1枚の写真を1つの「単語」に置き換えてみます。
「1枚ずつの鑑賞を複数回行う」という場合は、
「タコ」「エビ」「馬」「山」「空」
という感じです。
単語間の連係がなく、それらの前後関係に意味はありません。
無意味に並んでいるので、順番を任意に入れ替えても何の差し支えもありません。
それに対して「レイアウトを構成する」という場合は、
「夢」「は」「枯野」「を」「かけ廻る」
という感じです。
前後関係が緊密に連係し、「全体で1つ」としてまとまっています。
そして、順番を入れ替えると意味が成り立ちません。
レイアウトの効力
これがいわゆるレイアウトの力です。
1枚ではできない表現を、複数枚を連係して行うということです。
そして、写真は並べる時点ですでに前後関係が発生します。
音は並べた時点ですでに音ではなく「音程」です。そして音程が連続するとさらに「メロディー」になります。
1枚ずつを個別に鑑賞してほしい場合でも、並べて見せるということは、好むと好まざるとに関わらず、勝手に前後関係が発生してしまうのです。
「写真を並べる」という時点で、もはや前後関係からは逃れられません。
で、あるならば、それを積極的に利用していきましょう。
写真の「機能」について
さてここでもう一度、先ほどの二つの例を見てみましょう。
前者の「単語羅列型」の場合、
「タコ」「エビ」「馬」「山」「空」
それぞれの単語は、単体ですでに意味のあるものです。
単体で鑑賞可能です。
しかし、後者の「文章構成型」の場合、
「夢」「は」「枯野」「を」「かけ廻る」
の、「は」や「を」は、それ単体では、ほとんど意味をなさないものです。
写真集やフォトブックで例えると、合間合間にただの空の写真や、つないだ手のクローズアップなど、単体だと若干弱いような写真が入っているのがそれです。
文法で言うと、「助詞」や「接続詞」みたいなものです。
つまり「写真をレイアウトする」とは、各写真を「機能」に置き換え、それらを連係させて1つの有機体を構成する、ということです。
1枚写真であれば、1つの画面内でストーリーは完結していますが、組写真(複数枚を並べて見る写真)は、複数枚を並べてストーリーを構成します。
その中の1枚1枚の比重や役割に違いがあるからこそ、それがストーリーになり得るのです。
比重や役割に違いがなければ、それはただの「羅列」です。
映画や音楽との関連
時間軸に沿って構成する芸術である映画や音楽では、必ずそのような構成をしているはずです。
「ヤマ場」の羅列だけで作品が構成されているわけではありませんし、「接続詞」だけで作品が成り立っているわけでもありません。
どんなヒット曲でも「Aメロ」「Bメロ」「サビ」みたいに、「機能」の「連係」によって、作品が構成されています。
「サビ」「サビ」「サビ」だったら、うんざりするし、気持ち悪いし、とても聴きにくいはずです。
ヒット曲が何度も聞きたくなるのは、サビの力だけではなく、そのサビをうまく聴かせる「構成」の力が大きいのです。
写真においても、「時間軸に沿った構成」となる写真集やフォトブックにするならば、やはりそういった構成が必要になります。
また、映画の場合は「モンタージュ理論」なるものもありまして、シーンの前後をどうつなぐかについては良く研究がされています。
時間の流れによって成り立っている映画では、シーンの「連係」こそがキモだからです。
それに対して写真は本来、「1枚の絵」という静止した時間によって成り立っています。
ですから、それをレイアウトする場合、時間は「流れる」のではなく「コマ送り」です。
その結果、写真が100枚あったとしても、その間に発生する「変化」の回数は99回です。
映画が無限の変化をするのとは対照的です。
それは、映画と写真の本質の違いです。
映画は流れる時間の中で表現するもの、写真は静止した時間の中で表現するもの。
そして静止した時間である写真であっても、それを「並べる」ことによって擬似的に時間を「流す」ことができる。
それが「写真を並べる」、あるいは「レイアウトする」ということです。
そこで必要な技術は、写真そのものの技術とはまた別物です。
撮影時にすでにレイアウトを考えておくのがベター
さて、以上を考慮に入れると、レイアウトが前提ならば、撮影時にすでに完成形を見据えた撮影を行なっておくのがベターです。
「写真そのもの」だけに夢中になるのではなく、その写真の持つ「機能」にも意識を払っておくのです。
「名場面」ばかりではなく、「助詞」や「接続詞」も撮っておくということです。
そして、同一シーンのバリエーションも撮っておくということです。
前後関係がそもそもの骨子である映画では、あらかじめ前後関係を定めた「コンテ」や「脚本」に合わせてシーンを撮っていきます。
行き当たりばったりに撮って、後からどうしようか考える、ということはまずありません。
しかし写真の場合は、写真そのものの技術とレイアウトの技術は別物なので、まずは撮影の技術を駆使して撮影をし、その後にあらためてレイアウトについて考える、という発想になりがちです。
でも、撮影時にレイアウトの発想を持ち込むことによって、より映画に近いかたちで撮ることができます。
それによってレイアウト後の最終的な完成度が高まります。
そのために必要なことは、映画で言う「コンテ」や「脚本」に相当する「撮影ラフ」や「撮影リスト」を用意して撮影に臨むということです。
あるいはそこまでやらなくても、「使えるかも」と思ったカットは積極的に撮っておくといいでしょう。
ある程度レイアウトに慣れてくると、どういうカットが必要かわかってきますので、撮れる範囲でそういったカットを集めておくのも有効です。
要は最終的な完成形から逆算して写真を撮る、ということですね。
写真レイアウトの実践
では実践編にいきましょう。
何を語るかという「ストーリー」は個人それぞれのものですが、それを語るための「文法」は個人をまたいだ普遍的なものです。
ここではそんな「文法」的な部分について説明します。
写真レイアウトの基本的要素
写真レイアウトの最小単位は、前後の写真の間の「変化」です。
そして変化というものは無限にあるように見えますが、突き詰めると「2極」にまで還元されます。
その、最終段階まで還元した2極を、変化の「要素」としましょう。
例えば、
- 「寄り⇔引き」
- 「静⇔動」
- 「順光⇔逆光」
- 「白⇔黒」
- 「広角⇔望遠」
といったことです。
そして、その2極間の振れ幅のことを、変化の「度合い」としましょう。
ある要素における、最初の1枚と次の1枚の「差」とも言えます。
変化の度合いが数値でわかりやすい「広角⇔望遠」を例にします。
- 最初の写真は24mmで撮り、次の写真は50mmで撮った
- 最初の写真は16mmで撮り、次の写真は200mmで撮った
この場合、前者の差は26mm。後者の差は184mm。
つまり変化の度合いは、前者はより小さく、後者はより大きい、ということが言えます。
写真レイアウトのコツ
そして、写真レイアウトのコツ。
それは、「あらゆる要素」を「最大限動かす」ということです。
いろんな2極を、できるだけ大きな度合いで変化させる、ということです。
- 「寄り⇔引き」なら、思いっきり寄った写真の後に、思いっきり引いた写真を持ってきてみる。
- 「静⇔動」なら、思いっきり静かな写真の後に、思いっきり動きのある写真を持ってきてみる。
- 「色」なら、ある色味のあとに、その反対色を持ってきてみる。
「伝える」ために大切なこと
伝えるために大切なのは「ハッキリ」とした変化です。
例えば、角度を変える場合、5°10°の変更なんて、ほとんど変わった気がしません。
変えるなら90°くらい変えないと、変わった気がしません。
あるいは「まちがい探し」のように似通った、でもよく見ると違うみたいな写真を2枚並べる。
これも見る人が混乱します。
変化は「ハッキリ」させないと、見る人に伝わりません。
レイアウトとはすなわち、意図を相手に「伝える」手段です。
意図はハッキリさせないと「伝わらない」のです。
ハッキリしない男子がよくフラれるのと一緒です。
「ハッキリしなさいよ!」なんてフラれる直前によく言われる言葉ですね。
恋愛でもレイアウトでも、「伝える」の現場において「ハッキリさせる」ということは必須事項です。
「面白さ」のために大切なこと
そしてもう一つ、変化させるのはなるべくいろんな要素です。
2つか3つの似通った要素の変化だけだと、単純につまらないです。
いろんな要素が変化するから、見ごたえがあり、面白くなります。
この変化の要素は、無限の変化から2極に集約するため、文字通りいろんな要素が考えられます。
「ハイアングル⇔ローアングル」といった「カメラ的」要素だけでなく、
- 「混沌⇔秩序」
- 「直線⇔曲線」
- 「奥行⇔平面」
- 「人物⇔風景」
- 「山⇔海」
- 「男⇔女」
- 「一人⇔多数」
等々。いくらでも考えられます。
「いろんな要素」を「ハッキリ変化させる」
まずはこれがレイアウトの基本的なコツです。
まあもちろん「いろんな」と言っても、変化させることだけが目的となって、やたらめったらでは意味が違ってきます。
あくまで「ストーリーを説明する範囲において」です。
「多・大」から「少・小」へ
「いろんな要素」を「ハッキリ変化させる」。
これがレイアウトのコツですから、逆に「少ない要素」の「微妙な変化」で魅せるのは非常に難しいことです。
「少ない要素」は「つまらない」に、「微妙な変化」は「わからない」につながりやすいからです。
しかし、このあとビデオでも学習しますが、「少ない」や「小さい」からといって、必ずしも与える感動が「少ない」や「小さい」わけではありません。
そこが表現の面白いところです。
「たくさん」や「大きく」をマスターした後は、ぜひこの「少ない」や「小さい」にもチャレンジしてみてください。
表現の面白さはむしろ、「少ない」や「小さい」でありながらハッキリ伝わり、なおかつ面白い、というところにあります。
ヒット曲から読み解く写真の構成
では実例を見ましょう。
ジャンル違いではありますが、Augustanaのヒット曲である「Boston」のミュージックビデオを参考に、変化の要素とその度合いによって作品がどのように構成されているかを見ます。
このMVは1本まるまる1つの場面から構成されていて、変化はほとんど「カメラワーク」から生まれています。
「カメラワーク」と「変化」の関連がとてもわかりやすく、写真にも応用しやすい作品です。
① 印象的な逆光による「引き」のカットから入ります。
写真でもよく引きのカットから入りますが、それは全体を俯瞰したうえで部分に入っていくと、流れがスムーズだからですね。
「引き」から入るのは、ごく自然に作品世界に導入する意味で効果的です。
② 次のカットでいきなりの「どアップ」です。
このギャップです。これが「変化」です。
冒頭で一気に引き込みます。
③ ハイアングルからの中景ですね。
遠景→近景→中景と続いてきました。ごく自然な流れです。
ここでの変化の主役は「アングル」です。
遠→近→中というほぼセオリー通りのような流れにいい感じで変化を付ける要素がこの「ハイアングル」です。
④ 手のクローズアップですね。
遠→近→中とくれば、次は「ディテール」です。
ここでの変化は「主(人物)」から「副(パーツ・ディテール)」です。
基本的にレイアウト前提の写真撮影で必ず撮っておきたいバリエーションカットは「全景」と「パーツ・ディテール」です。
要するにグッと引いた絵と、部分にグッと寄った絵です。
これらをレイアウト中に適度に散りばめることによって、適度な変化と、幅の広い説明が可能になります。
⑤ そしてカメラがそのまま上にパンしていき、「In the light of the sun~」の出だしの歌詞とともに、文字通り「太陽の光の中の」主人公の姿を映し出します。
この歌詞と映像のリンクは、ミュージックビデオではよく使われる手法ですね。
⑥ 次にややローアングルからの「カメラブレ」です。
ここでの変化は「動き」です。「静⇔動」の対比です。
⑦ 次に、背後からの望遠ショットです。
ここでの変化は「レンズ効果」です。
望遠レンズによる圧縮効果が、目先の変化を与えています。
もちろん同時に、人物に対するアングルも横・前・上・横と来て「後ろ」と、バリエーションを与えています。
また、ここでカメラの動きを止めることによって、直前の「動き」との対比が成立しています。
⑧ そして、望遠からの一気にワイドです。
ここでもまたグッと大きなギャップを作ってメリハリを出しています。
⑨ 角度を変えたワイドが続いて、またしても引きからの「どアップ」です。
ここでもまたドスンとギャップです。
なおかつ「静止」からの「動き」も加わっています。
と、このような「変化」の積み重ねによって、ストーリーは進行していきます。
そしてサビの盛り上がり部分では、曲の激しさに合わせて波のうねりがますます激しくなり、役者の動きもカメラの動きもカット割りの速度も最高潮に達します。
そして、曲が一瞬静かになるタイミングで挿入される水滴のディテールがまた、いい味出しています。
そして最後は、ひっくり返ったピアノの脚のロングショットで終幕です。
全景から入りディテールの余韻で終わるという、ほとんど教科書どおりの構成です。
カット間にハッキリとメリハリをつけて変化させているのが見て取れると思います。
変化の「要素」と「度合い」をコントロールしよう
そしてこの、「いろんな要素」を「ハッキリ変化させる」というレイアウトのコツをつかんだら、「少ない要素」を「微妙に変化させる」という語り口にもチャレンジしてみましょう。
冒頭で紹介した山崎まさよしの「One more time,One more chance」は、逆にそんな静かに淡々と語る語り口のほうの秀作です。
「Boston」との対比として、合わせて参考にしてみてください。
こちらは全編1カットのいわゆる「長回し」で、カットの切れ目が一切ありません。
カット割りによる「変化」をはじめから放棄しています。
なおかつ映っているのは歌い手本人と、ごくあっさりした背景だけ。
その上モノクロです。
まさに「これ以上何を失えば 心は許されるの?」というギリギリの道具立てから、「Boston」に負けない豊穣な作品世界を提示しているあたり、わびさびに通じる日本人らしい美意識が見て取れます。
それを端的に表すのが、歌っている時の「顔の角度」による表現。
初めはうつむき加減で光もあまり当たっていませんが、後半に行くほど上を向いていき、ハイライトの面積も増えていきます。そしてフィナーレではほとんど上向きです。
この微妙な顔の角度とライティングを組み合わせた「幽かな」表現は、ほとんど「能」のそれと一緒です。
そんな微妙な表現が、ある意味「Boston」のあの激しい波に匹敵する情感とヴァイブレーションを伝えるわけですから、本当に表現の多様性には驚かされるばかりです。
「One more time,One more chance」の奥深い世界
「Boston」的表現。それは「そのまんま」です。
画面の激しさは、イコールそのまま「表現」の激しさです。
しかし、「One more time,One more chance」は、まわりの雑音を消すことによって、相対的に小さな表現を浮かび上がらせています。
というか、本来見せたい表現の絶対的な振幅が小さいがために、それを目立たせるための手段として、まわりの雑音を消すという手段を取った、と言えるでしょう。
その「本来見せたい表現」とは、歌い手本人の歌っているときの姿そのものです。
おそらく本人の作詞作曲ということもありますし、この曲を最も体現している存在が歌い手本人であり、歌っているときの姿です。
その筋肉一つひとつの微妙な動きが、かなり雄弁にこの曲自体を物語っています。
情感豊かなこの曲の情感を表現するビジュアルとして、どんな第三者による情景描写よりも「本人のフィジカル」が最も的確だと判断したわけでしょう。
すべての発想はそこから出発しています。
だから顔に当たるライティングも、お化けライトみたいなフットライトと強烈なトップライトの挟み撃ちという少し不思議なライティングなっています。
それは顔にハイライトとシャドーのムラをあえて作って、筋肉の動きをリアルに描写するためですね。
トップの強烈なハイライトは被写体を克明に描き出し、下からのゆるやかな光は、のどぼとけの微細な動きもリアルに捉えています。
その捉えているものは「表情」ではなく「筋肉」です。
この曲のビジュアルはなるべく情緒を排したいという意図があります。
なぜなら、曲以外の情緒性はなるべく排除したほうが、より曲自体の情緒性が浮かび上がってくるからです。
本人も表情を消しています。
着ているトレーナーも無地です。
画面はモノクロで「色」もありません。
必要最低限の要素以外は、なんの映り込みも画面内にはありません。
そしてライティングも光に角度がついていません。
角度をつけると情緒的になるからです。
ポートレートで斜光が好まれるのは、その情緒性ゆえです。
「Boston」でもその斜光の情緒性が存分に発揮されていましたね。
角度は「ニュアンス」を発生します。
まっすぐ「上下」にすることで、ライティングは「説明的」になります。
そのように雑音をすべて消して、曲本来の情緒が語りだす舞台を整えたわけです。
ほとんど何もやっていないかに見える、ただアーティストが歌ってるだけじゃんとも見えるこの映像はしかし、曲にふさわしい方法を慎重に検討し、慎重に実行した結果です。
こんな映像を作り出せる原動力は、曲に対するレスペクトと愛だけです。
この曲に対するレスペクトと愛がなければ、こんな方法はちょっと思いつきません。普通なら桜木町の駅のホームでも映して終わってます。
そういう意味で美しい作品です。
いい作品は冷静な計算によって成り立っていますが、それを生んでいるのは作り手のエモーションです。
いつだっていい作品の根底には強烈なエモーションが秘められています。
そのエモーションが見る人のエモーションを引き出すのでしょう。
こんな能面みたいな静謐すぎる作品にも、その根底には強烈なパッションとエモーションが秘められています。
まとめ
最後少し脱線しましたが、今回は写真の「レイアウト」の話でした。
写真集やフォトブックを作ってみるのは、1枚ずつ写真を味わうのとはまた違った面白さがあり、オススメです。
その際、映画やミュージックビデオなんかが、「時間軸上の配置」の点から参考になります。
また、以前紹介したアップルの写真集は、その点非常に練られた構成をしているので、機会があればぜひ参考にしてみてください。
この写真集の中身は、ひたすらアップルの「製品」のみです。背景もありません。
それを、サイズ、アングル、配置、位置関係など、「レイアウト」によって、巧みに構成しています。
これが「製品カタログ」ではなく「写真集」である理由は、「そうあるべく意図を持ったレイアウト」です。
この写真集は、世界有数のデザインチームによるレイアウトのお手本と言えるでしょう。
レイアウトから見えてくる「自分の写真」の特徴
さて、実際に自分の写真でレイアウトを始めてみると、ひとつの事実が浮かび上がってくるかもしれません。
それはレイアウトするべき「写真が足りない!」という事実です。
変化を付けようにも付けられない。
なぜなら手持ちがみんな似通った写真だから。
それは非常にあり得る話です。
放っておくと人間は自分のコンフォートゾーンでしか撮らないものです。
そうです。
撮影において「変化を付ける」ということは、実は意識しないとできないことなのです。
実際にレイアウトをやってみて初めて、自分の写真の変化の乏しさに気が付くかもしれません。
普段、「ヤマ場」や「ハイライトシーン」にしか目を向けていないとしたら、ふっと力を抜いて、路傍の石や空の青さにも目を向けてみるといいでしょう。
または、普段とは違う立ち位置、レンズ、距離感に、あえて踏み込んでみるのもいいでしょう。
レイアウトしてみる、ということは、写真自体にも変化を要求するわけです。
このことは、あなたの写真世界を広げてくれるキッカケにもなります。
そういう意味でも、写真集やフォトブックに手を出してみるのはオススメです。