カメラ初心者のための、最短で写真が上手くなる勉強法

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写真の勉強

全国の初心者カメラマンの皆さん、こんにちは。

今回は、初心者の段階に効く、最短でなおかつ効果的な写真の勉強法をご紹介しましょう。

「初心者の段階」というのは、どんな大御所もベテランも必ず通る道であり、その後の写真人生を左右する、もっとも重要な時期でもあります。

宇宙ロケットも、出発の角度が0.1度違うだけで、月に行くつもりが火星に行ってしまうこともあるかもしれません。

また、エジソンも、幼少期の母親の教育がなかったら、あの大発明家は誕生していなかったわけです。

そういう意味で、「初期の段階がその後の段階を決定づける」というのは、かなりの程度真実であり、カメラや写真においても、やはり例外ではないでしょう。

しかるに、昨今の情報過多の状況は、初心者を惑わせるに十分な混沌性をもって、我々の周囲を取り巻いています。

あまりにも茫洋とした眼前の状況に、ただただ途方にくれるという経験は、初心者のみなさんならきっとおありでしょう。

この混沌すぎる今だからこそ、初心者のための道しるべを改めて検討してみることは、十分意義があると考えます。

とは言っても、先に結論を言ってしまうと、要はいかに「楽しさ」をキープするかという話なので、肩肘張らずに、気軽にいきましょう。(笑)

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目次

写真上達のための基本的スタンス

さて、初心者の方がまず思うこと、それは、「何から手をつけたらいいの?」ということですね。

ある人は「アレをやったらいい、コレをやったらいい」と言い、ある本には別な「アレやコレや」が書いてあり、ネット上にはさらに別なアレコレが山のようにあり、「一体どーすんの!?」と、全く叫びたくなるような状況でしょう。

それは、やるべき事が膨大すぎて、何から手をつけていいかわからないという状況ですが、そんな時にでも、やるべきことはたったひとつです。

それは、確実にわかる小さなひとつを確実にやるということです。

具体的に「何を」やるかについては、人それぞれですが、「どう」やるかについては、対象がどんなに漠然としてても、それを具体的にわかる「小さなひとつ」にまで分解して、それをやる。そしてそれを積み重ねる。

それしかありません。

「千里の道も一歩から」という当たり前すぎる格言はしかし、どうしようもないほどに真実です。

千里という長大な行程も、その中身を確認してみると、「一歩」という具体的かつ確実な、ごく小さなパーツから出来上がっています。

一歩を踏み出したから千里があり、そしてその一歩を積み重ねたから千里がある。

ちょっと前にも同じような話をしましたね。

前回のアート写真の記事の中で触れられることのなかった、孤高の写真作品をご存知でしょうか?7億7千万円という価格が付いたその作品の裏には、「写真を売る」ということを別次元に引き上げた、圧巻の販売手法がありました。

寝て起きたら翌日にはプロ級の腕前になっていた、なんてことがあるはずもありません。

まず、確実なる一歩を踏み出す。

そして次に確実なる二歩目を踏み出す。

その次には確実なる三歩目を…四歩目を…。

当たり前すぎるほど当たり前ですが、結局はそれしかありません。

「さてどうしたもんか」と、ただ手をこまねいているだけなら、どんなに小さくても、ハッキリとわかる具体的なことに対して実際に手を動かしたほうが確実です。

大した前進に見えないかもしれないそんな小さな「具体的な積み重ね」が、結局は千里に至るのです。

最短の写真上達法

では、その最初の一歩目にやることには何を選んだらいいのでしょうか。

露出でしょうか、構図でしょうか。

はたまたカメラの操作を一から覚えることでしょうか。

あるいは好きな写真を100枚選んで「なぜ好きか?」を考えてみることでしょうか。

もっといい方法があります。

それは、そもそも自分がやりたいと思ったこと「そのもの」を最初からやることです。

そもそも写真を始めようと思ったからには、「撮りたい写真」というものがあるはずです。

つまりはそんな「撮りたい写真」を最初から撮るのです。

「ゆるふわ」な写真が撮りたいと思ったらゆるふわな写真を、「カッコイイ」写真を撮りたいと思ったらカッコイイ写真を、「子ども達をキレイに残したい」と思ったらそんな写真を、イキナリ撮るのです。

なぜなら、ある地点とある地点の最短距離は、それを結ぶ「直線」でありますから、自分の現在の立ち位置と最終的な目標の最短距離も、やっぱりそれを結ぶ「直線」です。

ですから、「目標に真っ直ぐ向かうこと」が最短の上達法です。

これまた当たり前すぎるほど当たり前な話です。

「直線」が「最短」なのは、もはや幾何の法則なので、疑いようがありません。

そして、撮りたい写真を撮るために、まずはカメラの操作を一通り覚えて、それから構図と露出の基本を覚えて、それから過去の名作を一通り押さえて、それからおもむろに目標に向かう、というのは、ぐねぐねと曲線を描いたあげくにやっと目標に向かうということですから、これが最短ではない、ということは、これも幾何の法則に照らし合わせて、やはり疑いようのない事実です。

写真は「基礎」が先か、「まず撮る」が先か

なるほど直線が最短なのはその通りでしょう。

しかし、世には「急がば回れ」という格言もあります。

やっぱり基礎をみっちりやって、基本を仕上げてからおもむろに目標に向かうほうが結局は早いのでは?と。

なるほどもっともなご意見です。

この比較は要は、「(一見)ムダなこともたくさんやる」か「必要なことだけを身につけるか」の差、と言えます。

「急がば回れ」は、一見ムダなこともたくさんやって、どんな状況にも対応できるようにしておくと安心ですね、というやり方です。

「最短上達法」は、ムダを一切切り捨てて、「本当に必要なこと」だけをやるやり方です。

ですからその違いは結局、「時間をかけてムダなことを吸収するかしないか」の差となります。

しかしここで問題にしたいのは、その時間をかけて吸収することがムダかムダでないかということよりも、その、時間をかけて吸収することが「楽しいか、楽しくないか」です。

なぜなら、その「楽しいか、楽しくないか」が物事の吸収度に大きく影響するからです。

一般的に言って「やりたい」ことは楽しいし、「やりたくない」ことは楽しくありません。

そして、一般的に言って「撮りたい写真を撮る」は、やりたいことそのものであり、「基礎勉強」は、できればやりたくないものです。

ですから、

  • 「最短上達法」=楽しいがゆえに物事がぐいぐいと身に付く
  • 「急がば回れ」=楽しくないがゆえにあんまり身に付かない

ということになります。もちろん一般論ですが。

トータルで言うと結局「最短上達法」は、

楽しいがゆえによく身に付き、ムダを省いている分早く目的達成できる方法

と言えます。

「最短の写真上達法」が効果的な理由

なんだかいいこと尽くめに見えますが、果たして世の中そんなウマい話があるのでしょうか?

というわけで次に、「最短上達法」が一体どんな仕組みになっているのかを仔細に点検してみましょう。

「自分事」か「他人事」か

まず、「撮りたい写真をイキナリ撮っても撮れるわけないよ」と、こう思われますね。

当然です。

じゃあなんで「イキナリ撮る」のかと言うと、それによって「何で撮れないのか、何が違うのか」ということを、イヤでも考えさせられるからです。

「なんであの写真と同じような色がでないのか?」

「なんであの写真のようにカッコ良くならないのか?モデルが違うのか?ライティングか?」

「なんでこんなにパッとしないんだ?何が違うんだ?」

そのとき、初めてその疑問は自分事になります。

あこがれの写真と同じように撮ってみた結果、そもそも自分が好きなのは写真を「撮る」ことではなく「見る」ことだった!…なんて気付くかもしれません。

しかし、それもこれも全て、実際に「それそのもの」に真っ直ぐにぶつかってみるからこそ、初めて肌で実感できることです。

逆に、自分が疑問にも思ってないこと、知りたいとも思ってないけど「やらなきゃいけない」という理由でやっていることに対しては、解答を与えられても、「ふーん、そうなんだ」程度にしか認識できません。

つまり「他人事」です。

そして、物事が身につかない最大の理由。

それは、「他人事」でやっているからです。

新人に仕事を教えるとき、何度言っても同じ間違いをして、苦労されている上司の方、いらっしゃいますよね。

それはきっと、その新人君にとってその仕事は「他人事」だからです。

まだ何の責任も無い新人君にとって、初めての仕事を自分事として捉えるのはなかなか難しいことでしょう。

やってることの意味がわからないし、それ自体が面白いわけでもない。

しかし「やったら1億円もらえる」ってなったら、きっと死に物狂いでやります。(笑)

直接自分の利害に関係する「自分事」に一気に転換されるからです。

そして「自分事」に転換されるキッカケの「1億円」に相当するのが、「やりたい!」という気持ちです。

心に切実に「やりたい!」という思いがあれば、仕事だろうが何だろうが懇切丁寧な指導なんて全く不要で、自分から夢中になってやります。

ですから、仕事ではイマイチな新人君でも、「自分事」である、例えばゲームやサーフィンなら、誰よりもうまくデキたりします。

「うまくできる・できない」は、ひとえに「自分事」か「他人事」かにかかっている、ということですね。

「やりたい!」こそが上達の秘訣

「基礎勉強」のようなものは、そもそもやりたくてやるわけではないので、どうしても「他人事」にならざるを得ません。

新人君における「会社の仕事」と一緒です。やらされ感満載です。

そして、撮りたくて撮る写真は、そもそもそれがやりたくてやっているわけですから、どう転んでも「自分事」です。

新人君における「ゲーム」や「サーフィン」と一緒です。

やりたいことをやることによって、うまくできなくても「どうすればうまくいくか」を自分事として切実に考えることができます。

やらされてやるのとは雲泥の差です。

それだけ「やりたい」は強烈なパワーなのです。

この「やりたい!」こそがあなたを上達へと押し上げる原動力です

初心者の上達は、このパワーをいかに生かすかにかかっています。

エジソンの母親は、少年エジソンの「知りたい!」にとことん付き合ってあげました。

「やりたい!」をうまく引き出して、その後の大成に導いたのです。

「撮りたい写真をイキナリ撮る」ということは、この「やりたい」に最初からフォーカスを合わせて、このパワーを最大限引き出すということです。

逆に初期の段階でこの「やりたい」をいきなり削いでしまったら、「写真はつまらん」となって、その後が尻すぼみになる可能性があります。

最短上達法の有用性

つまり、上達のためであっても、「楽しさ」を優先することは、理にかなっているということです。

そして実際、あちこちで目にする写真家やカメラマンの逸話には、イキナリ撮り始めている例が多いです。

「撮っている内にプロになっちゃいました」

「夢中でやっている内に、いつの間にか仕事になっていました」

なんて話はよく聞きますが、それにはちゃんと理由があったのです。

そして「今でもカメラの操作はよくわかりませんね、あはは!」、なんて人もいますが、プロですらそれで何の差し障りもないのに、いわんやアマチュアにおいてをや、です。

つまり、やりたいことに不必要な知識や技術を、「基礎勉強」と称して急がば回れ式に身につける必要は特にない、ということです。

初心者にとってこそ有効な「最短の写真上達法」

このように、メリット満載の「最短上達法」ですが、それにも関わらず多くの初心者に採用されないのはなぜでしょうか?

それは、初心者の多くは「不安」だからですね。

初めて踏み入れる写真やカメラの世界。

茫洋と広大な世界が広がっている中で、右も左もわからない。何の手がかりもない。

初めての人が不安なのは、全く当たり前のことです。

ですから、当初「やりたい」って思っていた理由をうっかり忘れて、その不安を消すことに邁進してしまいがちです。

まず、カメラの操作を一から覚えなきゃ。それからテキストを買って、撮影の基本を全て網羅して、それから課題の撮影を1コずつこなして、それからそれから…。

人生終わっちゃいますよ?

ほんとは何をやりたかったんですか?って話です。

もはやそれは、「写真を楽しむこと」が目的ではなく、「不安を解消すること」が目的になってしまっています。

「ワクワク」か「不安」か

なんでそれがマズいのかと言うと、「不安」からは何のクリエイティブも生まれないからです。

創造性は「ワクワク」と「パッション」から生まれます。これも間違いのないことです。

物事は、「追いかけている時」がワクワクで、「逃げている時」が不安と恐怖です。

プラスのものを掴もうとするのがワクワクで、マイナスのものを消し去ろうとするのが不安です。

マイナスのものは消し去ったとしてもプラスマイナスゼロ、つまり最大でゼロです。

しかし、プラスのものはどこまでも追いかけることができます。つまり無限大(∞)です。

「撮りたい写真」を純粋に追いかけて掴もうとするのがワクワクで、「失敗」から逃げてそれを消し去ろうとするのが不安です。

どっちにします?

アズユーライクです。

初心者が陥りやすいワナ

初めにやろうと思ったことを忘れて、いつの間にか目的がすり替わっている。

これは初心者がうっかり陥りやすいワナです。

なぜそんなことになるのかというと、まわりにそういった不安を掻き立てる要素が多いからです。

「これは基本だから必ず押さえておきましょう」

「この程度は知っておかないと写真は撮れませんよ」

「写真を何だと思ってるんだ、しっかり勉強しろ」

初心者が子どもだとすれば、ある程度経験のあるひとは大人です。

そんな大人から、基礎が大事、しっかり基礎を固めなさい、なんて言われれば、子どもはハイそうですか、と素直に従ってしまいます。

それはもう、社会の縮図そのままですね。

「遊んでないで勉強しなさい」

それは子どもの将来を心配する大人が、ついうっかり言ってしまう言葉ではありますが、将来が不安な子どもが、またついうっかり聞いてしまう言葉でもあります。

でも思い出しましょう。

ここは現実世界じゃありませんよ。

受験競争も就職戦線もありませんよ。

「遊んでないで」っていうか、そもそもあなたは写真の世界に遊びに来たはずですよね?

「最短の写真上達法」の最大のメリット

ホリエモン氏の、「すし職人の“飯炊き3年握り8年”は時代遅れ」が物議をかもしたのは記憶に新しいですが、実際、すしを握った経験が1年未満の職人による店がミシュランガイドに掲載されたという事実もありますね。

参考:開店からわずか11ヶ月…素人だらけの寿司屋がミシュランに選ばれた理由(外部サイト)

すしを握りたかったら握ればいいのです。単純な話です。

なんですしを握りたいのに皿洗いや飯炊きという全然違うことをするのですか?

同じく、写真を撮りたかったら撮ればいいのです

なんで撮りたい写真があるのに、課題と称する全然関係ない写真を撮ったり、全然関係ないカメラの機能を覚えたりするんですか?

ストレートに「それ」を撮ったらいいではないですか。

ましてプロになろうというわけでもない、趣味の撮影なのに。

で、結局うっかりそういうことになってしまうのは、やっぱり「不安が大きいから」ですね。

で、あればこそ、その不安をはねのけて、あるいはそんな不安なんて感じないで撮った写真が、心を打つのです。

心を打つ写真は、教科書通りに撮った写真であったためしがありません

止むに止まれぬパッションが、どうしようもないワクワクが、溢れ出る情熱が、画面を通してそのヴァイブレーションを伝えるから、我々の心に共振を起こすのです。

写真のパワーとはつまり、その振幅の大きさです

あ、前回も同じようなこと書きましたね。

HIROMIXの写真については「全然わからん」「意味不明」「なにがいいの??」という言葉をよく聞きます。HIROMIXの写真は「革命的」とよく言われますが、その写真を理解するためには、我々の写真の見方にもまた「革命」が必要です。

アンリ・カルティエ=ブレッソンの面白さは、その「幾何学的」とも言われる厳密な画面構成ですが、本来「幾何」なんて無味乾燥の代名詞みたいなもんじゃないですか。

それが「名作」になるのは、そこに「幾何」への強烈なパッションが溢れているからです。

Simiane-la-Rotonde 1969 ©Henri Cartier-Bresson

この場面を前にしたブレッソンの興奮がありありと伝わってきます。

キターーーーーー!!!

どんなに静謐な画面であっても、心に響く写真は、その裏に強烈なパッションを秘めています。

そもそも、その「撮りたい!」がなければ、何のために写真を撮る必要がありますか?

誰からも強制されているわけではないのに。

「最短の写真上達法」実践編

そんなわけで初心者のみなさんには、撮りたい写真は「イキナリ」撮っちゃいなよと、ジャニー喜多川氏ばりに、こう申し上げたいわけであります。

そしたら、「あれ?そもそもカメラの操作がわかんないや」となれば、その時に初めて、カメラの操作をマスターしたい!という切実な衝動と必然性が生まれますし、撮れないなら「何で撮れないんだ?」という切実なる疑問も芽生えます。

そして、わからないこと、知りたいことができたら、都度それを把握できる「小さい1コ」にまで分解して、それを確実にやるのです。

「ピントが合わせたいところに合ってくれない」となったら、このカメラではピント合わせの方法は何と何があり、どれをどう使えば思った通りの場所にピントを合わせられるのかを調べてやってみる。

背景のボケ具合が違うんだな、と思ったら、ボケをつかさどる要素には何と何があり、自分の撮りたい写真のためには、どの要素をどうコントロールすればいいのかを調べ、そしてやってみる。

はたまた、まるっきりどうしたらいいのかわからない、「お手上げ!」という状況もでてくることでしょう。

それはMr.Childrenが昔歌っていた、「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな~♪」という、まさにソレです。

そうです。壁は登るためにあるのです

平坦な道では面白くなかろうと、神様がわざわざ用意してくれているのです

で、ありますから、我々はむしろその壁を楽しんで登るべきです。

戦国武将の山中鹿之助なんかは逆に「我に七難八苦を与えたまえ」なんて言っていますが、あれは相当な好き者です。

で、ありますから、どんなに高く見えたとしても、登れない壁はありません。

パッションと切実なる希求があれば、どんな状況でも前に進むことができます。

停滞に見えたとしても、それは飛躍のための助走です。

大空高く舞い上がるためには、ある程度の距離、地べたを走らなくてはなりません。

どんな状況でも、「確実にわかる小さい1コ」を見つけましょう。

そして、その1コを確実にクリアしていきましょう。

楽しさを追い続けていれば、千里の行程なんてきっと、あっという間です。

まとめ

と、いうわけで写真は、初心者であっても撮りたい写真を今すぐストレートに撮りましょう

まだその資格がないとか、もっとうまくなってからとか悠長なことを言っていると人生が終わります。

撮りたい写真に真っ直ぐにぶつかることによって、彼我の差を身をもって実感できます。

そして、「身をもって実感」することによって、それは「自分事」になります。

「自分事」というのは、「自分の内から自然と湧き上がる事」です。

それは「自然に」出てくるという意味で「本物」です。

逆に外からの「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」に、自分の内から出てくる「自然」に逆らって従うことは、「嘘」という意味で「ニセモノ」です。

もちろん撮りたい写真は、ころころと変遷するでしょうし、自分なりの撮り方を試してみたい時もあるでしょう。

どんなときにも「したい!」に忠実に従うのがいいでしょう。

「不安」ではなく「ワクワク」を原動力にしましょう。

そのほうがあなた自身のためにも、あなたが撮る写真のためにも、健全でいられます。

どんなときも貴方が貴方らしくあるために「好きなものは好き」と言える気持ちを抱きしめていてください。(笑)

最終的に何をやるのか、どうやるのか、それは何だって構いません。

今の世の中、マニュアルもテキストも、十二分に揃っています。

あなたの「したい!」に応えてくれる環境は、十二分に整っています。

外してはいけないのは1点だけです。

その行為は自分の「内」から出たものか、それとも「外」から与えられたものか。

その1点だけはよく見極めましょう。

おわりに

「写真なんて趣味なんだから、好きなように楽しめばいいじゃないの」

よく言われることですが、実際は好きなように楽しんでいない(楽しめていない)場合も非常に多いのです。

初心者は子どもみたいな存在です。

まわりから「ああしなさい、こうしなさい」と言われると、素直に従ってしまうのです。まだ自分で判断できるほど成長していないのですから。

その結果、「写真ってちっとも面白くないな」と思ってしまうのは、実にもったいないのです。

多少なりともその道の先を行く先達は、初心者の細かい不備を指摘するよりも、その伸びやかな発想を、楽しむ姿勢を何よりも応援してあげなくてはいけませんね。

写真ってのは、そんなどこまでも伸びたがる自然な欲求を、どこまでも受け入れてくれる実にフトコロの深い野郎です。まったくコンチクショウな野郎です。

そこでどんなに暴れまわっても、ただ微笑んで見ているだけの、とてつもなく広くて深いフィールドです。

日常のしがらみを抜け出して、わざわざそんな場所におもむく理由はなんでしたっけ?

それは存分に楽しむためですね。(笑)

【追記】

今回は初心者編でしたが、中級編、上級編も公開しました。

中級編:

何の疑問も無く写真を楽しめている人には、今回の記事は必要ないでしょう。今回は何となく疑問を感じる人、何となく面白くなくなってきた人と一緒に、その理由を考えていきます。

上級編:

【写真の撮り方】シリーズ三部作の最終章は「上級編」です。いろんな撮り方が考えられる写真の中で、結局何がベストなのか?今回はそんな疑問に結論を出します。
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