作品の良し悪しは本当に「感性の問題」か?

作品の良し悪しは本当に「感性の問題」か?

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作品と感性

「作品の良し悪しは『感性の問題』だから、絶対的な基準はない」

とか、

「芸術は『感性』から生まれるもの」

とか言われますが、じゃあその「感性」って一体何なのか?となると、それ以上の説明はなかなかされません。

芸術とは何ぞや、作品とは何ぞやと、さんざん議論を尽くした挙句、「最終的には感性の問題」(だから説明不可能)で終わるのが、よくあるパターンです。

今回はその「終わり」から始めましょう

つまり、「最終的には感性の問題」で終わってしまう、その「感性」って結局何なのか?という話です。

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目次

芸術・作品=感性という、いつものパターン

芸術について、作品について、一家言展開したあげく、最終的に「結局は感性の問題なので正解はありません」。

これはよく見るパターンです。

それは自論に対するエクスキューズなのか、それとも正確を期すための補足なのかはわかりません。

わかりませんがしかし、それを言ってしまうと聞いているほうは、じゃあ今までの話はなんだったのか、となります。

「結局は感性の問題」であるなら、じゃあ次にその「感性」とやらを説明するのが順序です。

「結局は感性」と、今までの内容を「感性」という語に集約させておきながら、その感性は「わからない」というのであれば、今までしゃべったことは結局「わからないこと」と言っているようなもんです。

それは「今言ったことは意味のないムダ話です」とまとめているようなものです。

どんなにいいことを言ったとしても「結局は感性の問題」で、全てがパーです。

この言葉を使うならば、次に「じゃあ感性とは何か」を説明しなくてはなりません。

ここからが本題、さあいよいよ佳境に入ってきました、というところです。

我々が聞きたいのはそこから先です。

そこで終わってしまっては、肝心の場面でCMが挟まる金曜ロードショーがCMのまま終わるようなもんです。

というわけで今回は、「じゃあ感性ってなんだよ」というCM後の展開を引き継ぎます。

「感性」の因数分解

「感性」

この言葉はそもそも、説明できないものとして取り扱われています

しかし、そもそも説明できない前提で取り扱ってしまっては、ハナシはそこで終わってしまいます。

感性にもいろんな意味がありますから、「説明できる感性」もあるはずです。

それを探るために、まずはこの「感性」という言葉を分解してみましょう。

「感性」と言う言葉を分解してみると、

  • 個人的感性
  • 普遍的感性

この2つに分解することができます。

他にもいろいろあるかもしれませんが、今回は「説明できる・できない」の観点から分解しますので、この2つです。

まず、それぞれの意味について説明しましょう。

個人的感性

これは言い換えると「好き嫌い」ということです。

あなたはイチゴのショートケーキが好きで、私はモンブランが好き。

彼はラーメンが好きで、彼女はカレーが好き。

それは、イチゴのショートケーキよりもモンブランのほうが優れているということではなく、そっちのほうが「好きと感じる」ということです。

つまり「感じる根拠」が個人的な性向に属するということです。

この個人的感性は文字通り「個別」の感性なので、全人類で何の傾向も特徴もありません。てんでバラバラです。

であるがゆえに、ショートケーキもモンブランもラーメンもカレーも、この世に並列して存在しているわけです。

普遍的感性

これは、個人的とは反対の、人類普遍の感性と言えます。

ゴキブリが気持ち悪いのは、個人的な好みの問題というよりも、ほとんど人類という生き物のスペックに埋め込まれた「生理的な反応」です。

そして高級ホテルのおもてなしが気持ちいいのは、これまた人類共通の生理的な反応といっていいでしょう。

もちろんこの普遍的感性は、完全にもれなく全員に当てはまる、とは言い切れませんが、大多数の傾向としてハッキリと認められるもの、とは言えます。

少なくとも個人的感性のバラバラ感に比べたら、圧倒的にハッキリとした傾向が認められる、人類に共通した感性です。

「作品」の因数分解

さて、まずは「感性」という言葉を、「個人的感性」と「普遍的感性」の2つに分解しました。

次に「作品」と言う言葉を分解してみましょう。

「作品」は、

  • いい作品
  • 好きな作品

この2つに分解することができます。

いい作品

世にある作品は、「まんべんなくいい」または「まんべんなく悪い」ということはありません。

必ず「多数の評価がもらえる作品」と「ちっとも評価がつかない作品」に分かれます。

世の中には「80:20の法則」というものがありまして、少数が多数を独占している状況があらゆる場面で確認できます。

「作品」においても例外ではなく、20%の作品が評価の80%を独占するというアンバランスは、ほとんど真実です。

いいね!がつく写真は1000も2000もつきますが、つかない写真は1コも付きません。

ミリオンヒットを飛ばす曲があれば、オリコン100位にも入らない曲もある。

この「偏り」が現実です。

ここではそんな、多数からの支持を得る作品を「いい作品」としておきます。

これは言い換えると、作品における「客観的な評価」という観点です。

好きな作品

そして作品には、世間からの評価とは関係なく、「好きな」作品というものもあります。

いいね!が1コもつかないような写真でも、個人的に好きな写真はあるでしょうし、オリコン100位にも入らないような曲でも、大ファンの曲もあるでしょう。

それらは、「客観的な評価」とは必ずしも一致しないはずです。

それらを「好きな作品」としましょう。

言い換えると、作品における「主観的な評価」という観点です。

「作品は感性」の本当の意味

さて、「感性」は「個人的感性」と「普遍的感性」の2つに、「作品」もまた「いい作品」と「好きな作品」の2つに分解されました。

このことから「作品は感性」と言う言い方は、次の4つの言い方に変換できます。

  1. いい作品は個人的な感性
  2. いい作品は普遍的な感性
  3. 好きな作品は個人的な感性
  4. 好きな作品は普遍的な感性

通常使われている「作品は感性」の意味

さてこの中で、通常使われている意味での「作品は感性」はどれでしょうか?

それは

  • いい作品は個人的な感性
  • 好きな作品は個人的な感性

のどちらかです。

なぜなら、説明がつかないほうの感性は「普遍的な感性」ではなく、「個人的な感性」だからです。

まずはこの2つについて見てみます。

いい作品は個人的な感性

「個人的な感性」が説明できないのは当たり前です。

「個人的な感性」はてんでバラバラなので、それを説明しようと思ったら、個人個人に対応しなくてはいけません。

そして、その個人にしか意味のないことをあえて公において説明する意味もありません。

「感性は説明できないもの」と、当たり前ように扱われているのは、感性を「個人的な感性」のほうで捉えているからですね。

好きな作品は個人的な感性

これはまあ、まったくその通りであり、何の異論を差し挟む余地もありません。

しかし、「主観的な好みを個人的な性向で語る」なんてことは単なる茶飲み話であって、議論においてあえて採り上げるトピックではありませんね。

説明できる「作品は感性」とは

つまり、よく言われる「作品は感性」とは結局のところ、迷路の行き止まりにぶちあたっているわけです。

上記2つは、どっちを選んだとしても行き止まりです。

それ以上論を進めることができない道です。

では4つの中で行き止まりではない道はどれでしょうか?

まず、「説明のできる感性」のほうを選ぶ必要があります。

それは「普遍的な感性」のほうです。

そして、「語る意味のある」ほうを選ぶ必要があります。

それは「いい作品」のほうです。

「好きな作品」に対する議論はやはり茶飲み話なので、それはスタバかワタミで展開するほうがふさわしいでしょう。

つまり、「いい作品は普遍的な感性」。

これこそが行き止まりでない道、その先も議論が続く道です。

というわけで、その道で論を進めます。

作品の良し悪しと「普遍的感性」「個人的感性」の関係

さて、世の中には多数の支持を受ける作品と、そうでもない作品に分かれるという話はしました。

作品は感性で作られるとしたら、多数の支持を受ける作品を作る感性は、「個人的な感性」でしょうか、それとも「普遍的な感性」でしょうか。

言うまでもなくそれは「普遍的な感性」ですね。

人類共通の感性をベースにしているからこそ、たくさんの人に支持されるという、ごく当たり前の話です。

それは逆に言うと支持を受けない作品は、個人的な感性で作られているということでもあります。

個人的な感性は、なんの根拠もない、とりとめもない恣意的なものですから、人類共通の共感を呼ばないわけです。

それが支持されるのは、「たまたま」趣味嗜好が一致した、という場合だけです。

そして、多数の人に支持される普遍的感性で作品を作るのは、主に「プロ」と呼ばれる人たちです。

なぜならプロの作品は多数の支持を受けないと仕事として成立しないからです。

個人的な趣味嗜好という根拠のないものをベースにしていては生活が成り立ちません。

逆に個人的感性で作品作りをするのは、趣味の人、つまり「アマチュア」の人です。

趣味の人、アマチュアの人は、自分が楽しむための作品作りなわけですから、当然ながら個人的な趣味嗜好で作品を作ります。

しかしながらもちろん、個人的感性と普遍的感性は一致する場合もあります

というか、個人も人類の一員である以上、そういう場合は非常に多いと言えるでしょう。

普遍的な感性とは

さて、「普遍的感性」には根拠があります。

根拠があるから普遍的とも言えます。

その根拠は、人間という生き物がそもそも持っている基本的性質です。

火にあたれば熱いと感じ、水をかぶれば冷たいと感じる。

それは「生理的」とも言える基本的性質です。

それを利用することによって、人類共通の共感を得る、それが支持を受ける作品の仕組みです。

では、作品づくりで利用される人類共通の普遍的な感性とは何でしょうか?

それはザックリ言うと「秩序に対して快美を感じる」という性質です。

宇宙は秩序で成り立っています。

惑星の運行にしてもそうですし、食物連鎖にしてもそうです。

宇宙の一部である人間もまた、秩序の中の一部です。

そもそも、「モノを完成させる」とはどういうことか。

それは「無秩序を秩序化する」ということです。

「作品を作る」とは、「ある秩序によって秩序づける」と、ほとんど同義です。

「秩序」が気持ちいい。

それはほとんど人類共通の、基本的スペックです。

これを利用することによって、あまねく人類に支持される作品を生み出すことが可能となるわけです。

例えば、写真の構図に3分割やら黄金分割やらを利用するのは、構図に秩序をもたらすためですね。

3分割の根拠は、2分割でも秩序は発生するけど、均等で面白みがない。4や5だともはや複雑。

写真に変化と秩序をもたらす最もシンプルな数字が3なわけです。

秩序化とはつまり、ゴチャゴチャをスッキリさせるという意味で、シンプル化でもあります。

また、「形」ではなく「感覚」面から言うと、優れた作品はある一つの感情・感覚を強烈に呼び覚まします。

それは、作品全体が1つのビジョンによって強烈に取りまとめられているからです。

そういう意味で秩序化はまた、統一化とも言えます。

この秩序化は、ほとんど人類共通の性向であり、国を作ったり会社を作ったり家族を作ったりといった組織化・秩序化・統一化は、ほとんどそうせずにはおれないほどの基本的衝動といっていいでしょう。

最終的に「作品は感性」が言っていること

さて、ここにおいて「作品は感性」の説明が、無事に完了しました。お疲れさまでした。

その流れをもう一度確認しましょう。

  1. 「作品は感性」を「いい作品は普遍的感性」に言い換える
  2. いい作品=「多数の支持を得る」作品
  3. 普遍的感性=「人類が共通して持っている」感性
  4. いい作品は普遍的感性=多数の支持を得る作品は、人類が共通して持っている感性で作られる
  5. 人類が共通して持っている感性=「秩序への快美」など

結論↓

「作品は感性」=多数の支持を得る作品は、人類が共通して持っている「秩序への快美」などの感性で作られる作品。

長い迷路を抜けると、出てきたのは「まるっきりそのまんまじゃん」とも言えるような、ごく当たり前の結論でしたね。(笑)

まとめ

さて今回は、「作品は感性」という、非常によく言われる言い方についてツッコミを入れてみました。

「結局は感性だから」

と言われて、(…じゃあ感性ってなんだよ)と心の中で思っていた人も多いと思います。

そこがチャンスです

わからないことをわからないままにしていると、何事も進歩はありません。

わからないことが出てきたらあえてツッコミを入れて、なんとかかんとか解答をひねりだすことが、物事を前に進めるチャンスです。

大事なことは、正しい、正しくないではなく、腑に落ちているかいないかです。

いくら正しくても自分の腑に落ちていなかったら、それは自分とは無関係のことです。

今の世の中グーグル先生に聞けば、たいていのことは答えてもらえます。

しかし、最終的に腑に落とすためには、自分なりの「アクション」が必要です。

ただ言われたことを丸飲みにするのではなく、ちゃんと消化する必要があります。

そこはグーグル先生の出番ではありません。

本当に大事なことはグーグルではなく自分に訊け

これはますます便利になってくる世の中で、忘れてはいけないことです。

今回の記事では、あいまいなまま放置されている部分にあえてツッコミを入れて、曲がりなりにも結論を出してみました。

「わからない」はチャンスです。

ぜひみなさんも、askやlistenではなく「Do」によって、わからないに取り組んでみてください。

「腑に落ちる」ことが、物事を前に進める原点です。

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